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行人・夏目漱石

10

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兄

一

自分は三沢を送った翌日あくるひまた母と兄夫婦とを迎えるため同じ停車場ステーションに出かけなければならなかった。自分から見るとほとんど想像さえつかなかったこの出来事を、始めから工夫して、とうとうそれを物にするまで漕こぎつけたものは例の岡田であった。彼は平生からよくこんな技巧を弄ろうしてその成効せいこうに誇るのが好すきであった。自分をわざわざ電話口へ呼び出して、そのうちきっと自分を驚かして見せると断ったのは彼である。それからほどなく、お兼さんが宿屋へ尋ねて来て、その訳を話した時には、自分も実際驚かされた。「どうして来るんです」と自分は聞いた。自分が東京を立つ前に、母の持っていた、ある場末ばすえの地面が、新たに電車の布設される通とおり路みちに当るとかでその前側を幾坪か買い上げられると聞いたとき、自分は母に「じゃその金でこの夏みんなを連つれて旅行なさい」と勧めて、「また二郎さんのお株が始まった」と笑われた事がある。母はかねてから、もし機会があったら京大阪を見たいと云っていたが、あるいはその金が手に入ったところへ、岡田からの勧誘があったため、こう大袈裟おおげさな計画になったのではなかろうか。それにしても岡田がまた何でそんな勧誘をしたものだろう。「何という大した考えもないんでございましょう。ただ昔むかしお世話になった御礼に御案内でもする気なんでしょう。それにあの事もございますから」お兼さんの「あの事」というのは例の結婚事件である。自分はいくらお貞さださんが母のお気に入りだって、そのために彼女がわざわざ大阪三界さんがいまで出て来るはずがないと思った。自分はその時すでに懐ふところが危あやしくなっていた。その上後あとから三沢のために岡田に若干の金額を借りた。ほかの意味は別として、母と兄夫婦の来るのはこの不足填補ふそくてんぽの方便として自分には好都合であった。岡田もそれを知って快よくこちらの要いるだけすぐ用立ててくれたに違いなかろうと思った。自分は岡田夫婦といっしょに停車場ステーションに行った。三人で汽車を待ち合わしている間に岡田は、「どうです。二郎さん喫驚びっくりしたでしょう」といった。自分はこれと類似の言葉を、彼から何遍も聞いているので、何とも答えなかった。お兼さんは岡田に向って、「あなたこの間から独ひとりで御得意なのね。二郎さんだって聞き飽あきていらっしゃるわ。そんな事」と云いながら自分を見て「ねえあなた」と詫あやまるようにつけ加えた。自分はお兼さんの愛嬌あいきょうのうちに、どことなく黒人くろうとらしい媚こびを認めて、急に返事の調子を狂わせた。お兼さんは素知そしらぬ風をして岡田に話しかけた。――「奥さまもだいぶ御目にかからないから、ずいぶんお変りになったでしょうね」「この前会った時はやっぱり元の叔母さんさ」岡田は自分の母の事を叔母さんと云い、お兼さんは奥様というのが、自分には変に聞こえた。「始終しじゅう傍そばにいると、変るんだか変らないんだか分りませんよ」と自分は答えて笑っているうちに汽車が着いた。岡田は彼ら三人のために特別に宿を取っておいたとかいって、直ただちに俥くるまを南へ走らした。自分は空くうに乗った俥の上で、彼のよく人を驚かせるのに驚いた。そう云えば彼が突然上京してお兼さんを奪うように伴つれて行ったのも自分を驚かした目覚めざましい手柄てがらの一つに相違なかった。

二

母の宿はさほど大きくはなかったけれども、自分の泊っている所よりはよほど上品な構かまえであった。室へやには扇風器だの、唐机とうづくえだの、特別にその唐机の傍そばに備えつけた電灯などがあった。兄はすぐそこにある電報紙へ大阪着の旨むねを書いて下女に渡していた。岡田はいつの間にか用意して来た三四枚の絵端書えはがきを袂たもとの中から出して、これは叔父さん、これはお重しげさん、これはお貞さださんと一々名宛なあてを書いて、「さあ一口ひとくちずつ皆みんなどうぞ」と方々へ配っていた。自分はお貞さんの絵端書へ「おめでとう」と書いた。すると母がその後あとへ「病気を大事になさい」と書いたので吃驚びっくりした。「お貞さんは病気なんですか」「実はあの事があるので、ちょうど好い折だから、今度伴つれて来きようと思って仕度までさせたところが、あいにくお腹なかが悪くなってね。残念な事をしましたよ」「でも大した事じゃないのよ。もうお粥かゆがそろそろ食べられるんだから」と嫂あによめが傍そばから説明した。その嫂は父に出す絵端書を持ったまま何か考えていた。「叔父さんは風流人だから歌が好いでしょう」と岡田に勧められて、「歌なんぞできるもんですか」と断った。岡田はまたお重へ宛あてたのに、「あなたの口の悪いところを聞けないのが残念だ」と細こまかく謹つつしんで書いたので、兄から「将棋の駒がまだ祟たたってると見えるね」と笑われていた。絵端書が済んで、しばらく世間話をした後で、岡田とお兼さんはまた来ると云って、母や兄が止とめるのも聞かずに帰って行った。「お兼さんは本当に奥さんらしくなったね」「宅うちへ仕立物を持って来た時分を考えると、まるで見違えるようだよ」母が兄とお兼さんを評し合った言葉の裏には、己おのれがそれだけ年を取ったという淡い哀愁あいしゅうを含んでいた。「お貞さんだって、もう直じきですよお母さん」と自分は横合から口を出した。「本当にね」と母は答えた。母は腹の中で、まだ片づく当あてのないお重の事でも考えているらしかった。兄は自分を顧かえりみて、「三沢が病気だったので、どこへも行かなかったそうだね」と聞いた。自分は「ええ。とんだところへ引っかかってどこへも行かずじまいでした」と答えた。自分と兄とは常にこのくらい懸隔かけへだてのある言葉で応対するのが例になっていた。これは年が少し違うのと、父が昔堅気むかしかたぎで、長男に最上の権力を塗りつけるようにして育て上げた結果である。母もたまには自分をさんづけにして二郎さんと呼んでくれる事もあるが、これは単に兄の一郎いちろうさんのお余りに過ぎないと自分は信じていた。みんなは話に気を取られて浴衣ゆかたを着換えるのを忘れていた。兄は立って、糊のりの強いのを肩へ掛けながら、「どうだい」と自分を促うながした。嫂は浴衣を自分に渡して、「全体あなたのお部屋はどこにあるの」と聞いた。手摺てすりの所へ出て、鼻の先にある高い塗塀ぬりべいを欝陶うっとうしそうに眺ながめていた母は、「いい室へやだが少し陰気だね。二郎お前のお室もこんなかい」と聞いた。自分は母のいる傍そばへ行って、下を見た。下には張物板はりものいたのような細長い庭に、細い竹が疎まばらに生えて錆さびた鉄灯籠かなどうろうが石の上に置いてあった。その石も竹も打水うちみずで皆しっとり濡ぬれていた。「狭いが凝こってますね。その代り僕の所のように河がありませんよ、お母さん」「おやどこに河があるの」と母がいう後あとから、兄も嫂あによめもその河の見える座敷と取換えて貰おうと云い出した。自分は自分の宿のある方角やら地理やらを説明して聞かした。そうしてひとまず帰って荷物を纏まとめた上またここへ来る約束をして宿を出た。

三

自分はその夕方宿の払はらいを済まして母や兄といっしょになった。三人は少し夕飯ゆうめしが後おくれたと見えて、膳ぜんを控えたまま楊枝ようじを使っていた。自分は彼らを散歩に連れ出そうと試みた。母は疲れたと云って応じなかった。兄は面倒らしかった。嫂だけには行きたい様子が見えた。「今夜は御止およしよ」と母が留とめた。兄は寝転ねころびながら話をした。そうして口では大阪を知ってるような事を云った。けれどもよく聞いて見ると、知っているのは天王寺てんのうじだの中の島だの千日前せんにちまえだのという名前ばかりで地理上の知識になると、まるで夢のように散漫極きわまるものであった。もっとも「大坂城の石垣の石は実に大きかった」とか、「天王寺の塔の上へ登って下を見たら眼が眩くらんだ」とか断片的の光景は実際覚えているらしかった。そのうちで一番面白く自分の耳に響いたのは彼の昔泊とまったという宿屋の夜の景色であった。「細い通りの角で、欄干らんかんの所へ出ると柳が見えた。家が隙間すきまなく並んでいる割には閑静で、窓から眺ながめられる長い橋も画えのように趣おもむきがあった。その上を通る車の音も愉快に響いた。もっとも宿そのものは不親切で汚なくって困ったが……」「いったいそれは大阪のどこなの」と嫂が聞いたが、兄は全く知らなかった。方角さえ分らないと答えた。これが兄の特色であった。彼は事件の断面を驚くばかり鮮あざやかに覚えている代りに、場所の名や年月としつきを全く忘れてしまう癖があった。それで彼は平気でいた。「どこだか解らなくっちゃつまらないわね」と嫂がまた云った。兄と嫂とはこんなところでよく喰い違った。兄の機嫌きげんの悪くない時はそれでも済むが、少しの具合で事が面倒になる例ためしも稀まれではなかった。こういう消息に通じた母は、「どこでも構わないが、それだけじゃないはずだったのにね。後あとを御話しよ」と云った。兄は「御母さんにも直なおにもつまらない事ですよ」と断って、「二郎そこの二階に泊ったとき面白いと思ったのはね」と自分に話し掛けた。自分は固もとより兄の話を一人で聞くべき責任を引受けた。「どうしました」「夜になって一寝入ひとねいりして眼が醒さめると、明かるい月が出て、その月が青い柳を照していた。それを寝ながら見ているとね、下の方で、急にやっという掛声が聞こえた。あたりは案外静まり返っているので、その掛声がことさら強く聞こえたんだろう、おれはすぐ起きて欄干らんかんの傍そばまで出て下を覗のぞいた。すると向むこうに見える柳の下で、真裸まっぱだかな男が三人代る代る大おおきな沢庵石たくあんいしの持ち上げ競くらをしていた。やっと云うのは両手へ力を入れて差し上げる時の声なんだよ。それを三人とも夢中になって熱心にやっていたが、熱心なせいか、誰も一口も物を云わない。おれは明らかな月影に黙って動く裸体はだかの人影を見て、妙に不思議な心持がした。するとそのうちの一人が細長い天秤棒てんびんぼうのようなものをぐるりぐるりと廻し始めた……」「何だか水滸伝すいこでんのような趣おもむきじゃありませんか」「その時からしてがすでに縹緲ひょうびょうたるものさ。今日こんにちになって回顧するとまるで夢のようだ」兄はこんな事を回想するのが好であった。そうしてそれは母にも嫂あによめにも通じない、ただ父と自分だけに解る趣であった。「その時大阪で面白いと思ったのはただそれぎりだが、何だかそんな連想を持って来て見ると、いっこう大阪らしい気がしないね」自分は三沢のいた病院の三階から見下みおろされる狭い綺麗きれいな通を思い出した。そうして兄の見た棒使や力持はあんな町内にいる若い衆じゃなかろうかと想像した。岡田夫婦は約のごとくその晩また尋たずねて来た。

四

岡田はすこぶる念入の遊覧目録といったようなものを、わざわざ宅うちから拵こしらえて来て、母と兄に見せた。それがまた余り綿密過ぎるので、母も兄も「これじゃ」と驚いた。「まあ幾日いくかくらい御滞在になれるんですか、それ次第でプログラムの作り方もまたあるんですから。こっちは東京と違ってね、少し市を離れるといくらでも見物する所があるんです」岡田の言葉のうちには多少の不服が籠こもっていたが、同時に得意な調子も見えた。「まるで大阪を自慢していらっしゃるようよ。あなたの話を傍そばで聞いていると」お兼さんは笑いながらこう云って真面目まじめな夫に注意した。「いえ自慢じゃない。自慢じゃないが……」注意された岡田はますます真面目になった。それが少し滑稽こっけいに見えたので皆みんなが笑い出した。「岡田さんは五六年のうちにすっかり上方風かみがたふうになってしまったんですね」と母が調戯からかった。「それでもよく東京の言葉だけは忘れずにいるじゃありませんか」と兄がその後あとに随ついてまた冷嘲ひやかし始めた。岡田は兄の顔を見て、「久しぶりに会うと、すぐこれだから敵かなわない。全く東京ものは口が悪い」と云った。「それにお重しげの兄あにきだもの、岡田さん」と今度は自分が口を出した。「お兼かね少し助けてくれ」と岡田がしまいに云った。そうして母の前に置いてあった先刻さっきのプログラムを取って袂たもとへ入れながら、「馬鹿馬鹿しい、骨を折ったり調戯われたり」とわざわざ怒った風をした。冗談じょうだんがひとしきり済むと、自分の予期していた通り、佐野の話が母の口から持ち出された。母は「このたびはまたいろいろ」と云ったような打って変った几帳面きちょうめんな言葉で岡田に礼を述べる、岡田はまたしかつめらしく改まった口上で、まことに行き届きませんでなどと挨拶あいさつをする、自分には両方共大袈裟おおげさに見えた。それから岡田はちょうど好い都合だから、是非本人に会ってやってくれと、また会見の打ち合せをし始めた。兄もその話しの中に首を突込まなくっては義理が悪いと見えて、煙草を吹かしながら二人の相手になっていた。自分は病気で寝ているお貞さださんにこの様子を見せて、ありがたいと思うか、余計な御世話だと思うか、本当のところを聞いて見たい気がした。同時に三沢が別れる時、新しく自分の頭に残して行った美しい精神病の「娘さん」の不幸な結婚を聯想れんそうした。嫂あによめとお兼さんは親しみの薄い間柄あいだがらであったけれども、若い女同志という縁故で先刻さっきから二人だけで話していた。しかし気心が知れないせいか、両方共遠慮がちでいっこう調子が合いそうになかった。嫂は無口な性質たちであった。お兼さんは愛嬌あいきょうのある方であった。お兼さんが十口とくち物をいう間に嫂は一口ひとくちしかしゃべれなかった。しかも種が切れると、その都度つどきっとお兼さんの方から供給されていた。最後に子供の話が出た。すると嫂の方が急に優勢になった。彼女はその小さい一人娘の平生を、さも興ありげに語った。お兼さんはまた嫂のくだくだしい叙述を、さも感心したように聞いていたが、実際はまるで無頓着むとんじゃくらしくも見えた。ただ一遍「よくまあお一人でお留守居るすいができます事」と云ったのは誠らしかった。「お重さんによく馴なづいておりますから」と嫂は答えていた。

五

母と兄夫婦の滞在日数は存外少いものであった。まず市内で二三日市外で二三日しめて一週間足らずで東京へ帰る予定で出て来たらしかった。「せめてもう少しはいいでしょう。せっかくここまで出ていらしったんだから。また来るたって、そりゃ容易な事じゃありませんよ、億劫おっくうで」こうは云うものの岡田も、母の滞在中会社の方をまるで休んで、毎日案内ばかりして歩けるほどの余裕は無論なかった。母も東京の宅うちの事が気にかかるように見えた。自分に云わせると、母と兄夫婦というからしてがすでに妙な組合せであった。本来なら父と母といっしょに来るとか、兄と嫂あによめだけが連立つれだって避暑に出かけるとか、もしまたお貞さださんの結婚問題が目的なら、当人の病気が癒なおるのを待って、母なり父なりが連れて来て、早く事を片づけてしまうとか、自然の予定は二通りも三通りもあった。それがこう変な形になって現れたのはどういう訳だか、自分には始めから呑のみ込めなかった。母はまたそれを胸の中に畳込たたみこんでいるという風に見えた。母ばかりではない、兄夫婦もそこに気がついているらしいところもあった。佐野との会見は型かたのごとく済んだ。母も兄も岡田に礼を述べていた。岡田の帰った後でも両方共佐野の批評はしなかった。もう事が極って批評をする余地がないというようにも取れた。結婚は年の暮に佐野が東京へ出て来る機会を待って、式を挙げるように相談が調ととのった。自分は兄に、「おめでた過ぎるくらい事件がどんどん進行して行く癖に、本人がいっこう知らないんだから面白い」と云った。「当人は無論知ってるんだ」と兄が答えた。「大喜びだよ」と母が保証した。自分は一言もなかった。しばらくしてから、「もっともこんな問題になると自分でどんどん進行させる勇気は日本の婦人にあるまいからな」と云った。兄は黙っていた。嫂は変な顔をして自分を見た。「女だけじゃないよ。男だって自分勝手にむやみと進行されちゃ困りますよ」と母は自分に注意した。すると兄が「いっそその方が好いかも知れないね」と云った。その云い方が少し冷ひややか過ぎたせいか、母は何だか厭いやな顔をした。嫂もまた変な顔をした。けれども二人とも何とも云わなかった。少し経たってから母はようやく口を開いた。「でも貞だけでもきまってくれるとお母さんは大変楽らくな心持がするよ。後あとは重しげばかりだからね」「これもお父さんの御蔭おかげさ」と兄が答えた。その時兄の唇くちびるに薄い皮肉の影が動いたのを、母は気がつかなかった。「全くお父さんの御蔭に違ないよ。岡田が今ああやってるのと同じ事さ」と母はだいぶ満足な体ていに見えた。憐あわれな母は父が今でも社会的に昔通りの勢力をもっているとばかり信じていた。兄は兄だけに、社会から退隠したと同様の今の父に、その半分の影響さえむずかしいと云う事を見破っていた。兄と同意見の自分は、家族中ぐるになって、佐野を瞞だましているような気がしてならなかった。けれどもまた一方から云えば、佐野は瞞されてもしかるべきだという考えが始めから頭のどこかに引っかかっていた。とにかく会見は満足のうちに済んだ。兄は暑いので脳に応こたえるとか云って、早く大阪を立ち退のく事を主張した。自分は固もとより賛成であった。

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