十五
やがて用事が三沢の口から切り出された。自分はすぐその後に随いて主要な点を説明した。Hさんは首を捻った。「そりゃ少し妙ですね、そんなはずはなさそうだがね」彼の不審はけっして偽とは見えなかった。彼は昨日Kの結婚披露に兄と精養軒で会った。そこを出る時にもいっしょに出た。話が途切れないので、浮か浮かと二人連立って歩いた。しまいに兄が疲れたといった。Hさんは自分の家に兄を引張って行った。「兄さんはここで晩飯を食ったくらいなんだからね。どうも少しも不断と違ったところはないようでしたよ」わがままに育った兄は、平生から家で気むずかしい癖に、外では至極穏かであった。しかしそれは昔の兄であった。今の彼を、ただ我儘の二字で説明するのは余りに単純過ぎた。自分はやむをえずその時兄がHさんに向って重にどんな話をしたか、差支えない限りそれを聞こうと試みた。「なに別に家庭の事なんか一口も云やしませんよ」これも嘘ではなかった。記憶の好いHさんは、その時の話題を明瞭に覚えていて、それを最も淡泊な態度で話してくれた。兄はその時しきりに死というものについて云々したそうである。彼は英吉利や亜米利加で流行る死後の研究という題目に興味をもって、だいぶその方面を調べたそうである。けれども、どれもこれも彼には不満足だと云ったそうである。彼はメーテルリンクの論文も読んで見たが、やはり普通のスピリチュアリズムと同じようにつまらんものだと嘆息したそうである。兄に関するHさんの話は、すべて学問とか研究とかいう側ばかりに限られていた。Hさんは兄の本領としてそれを当然のごとくに思っているらしかった。けれども聞いている自分は、どうしてもこの兄と家庭の兄とを二つに切り離して考える訳には行かなかった。むしろ家庭の兄がこういう研究的な兄を生み出したのだとしか理解できなかった。「そりゃ動揺はしていますね。御宅の方の関係があるかないか、そこは僕にも解らないが、何しろ思想の上で動揺して落ちつかないで弱っている事はたしかなようです」Hさんはしまいにこう云った。彼はその上に兄の神経衰弱も肯がった。しかしそれは兄の隠している事でも何でもなかった。兄はHさんに会うたんびに、ほとんどきまり文句のように、それを訴えてやまなかったそうである。「だからこの際旅行は至極好いでしょうよ。そう云う訳なら一つ勧めて見ましょう。しかしうんと云ってすぐ承知するかね。なかなか動かない人だから、ことによるとむずかしいね」Hさんの言葉には自信がなかった。「あなたのおっしゃる事なら素直に聞くだろうと思うんですが」「そうも行かんさ」Hさんは苦笑していた。表へ出た時はかれこれ十時に近かった。それでも閑静な屋敷町にちらほら人の影が見えた。それが皆なそぞろ歩きでもするように、長閑かに履物の音を響かして行った。空には星の光が鈍かった。あたかも眠たい眼をしばたたいているような鈍さであった。自分は不透明な何物かに包まれた気分を抱いた。そうして薄明るい往来を三沢と二人肩を並べて帰った。
十六
自分は首を長くしてHさんの消息を待った。花のたよりが都下の新聞を賑し始めた一週間の後になっても、Hさんからは何の通知もなかった。自分は失望した。電話を番町へかけて聞き合せるのも厭になった。どうでもするが好いという気分でじっとしていた。そこへ三沢が来た。「どうも旨く行かないそうだ」事実ははたして自分の想像した通りであった。兄はHさんの勧誘を断然断ってしまった。Hさんはやむをえず三沢を呼んで、その結果を自分に伝えるように頼んだ。「それでわざわざ来てくれたのかい」「まあそうだ」「どうも御苦労さま、すまない」自分はこれ以上何を云う気も起らなかった。「Hさんはああ云う人だから、自分の責任のように気の毒がっている。今度は事があまり突然なので旨く行かなかったが、この次の夏休みには是非どこかへ連れ出すつもりだと云っていた」自分はこういう慰藉をもたらしてくれた三沢の顔を見て苦笑した。Hさんのような大悠な人から見たら、春休みも夏休みも同じ事なんだろうけれども、内側で働いている自分達の眼には、夏休みといえば遠い未来であった。その遠い未来と現在の間には大きな不安が潜んでいた。「しかしまあ仕方がない。元々こっちで勝手なプログラムを拵えておいて、それに当てはまるように兄を自由に動かそうというんだから」自分はとうとう諦めた。三沢は何にも批評せずに、机の角に肱を突き立てて、その上に顋を載せたなり自分の顔を眺めていた。彼はしばらくしてから、「だから僕のいう通りにすれば好いんだ」と云った。この間Hさんに兄の事を依頼しに行った帰り途に、無言な彼は突然往来の真中で自分を驚かしたのである。今まで兄の事について一言も発しなかった彼は、その時不意に自分の肩を突いて、「君兄さんを旅行させるの、快活にするのって心配するより、自分で早く結婚した方が好かないか。その方がつまり君の得だぜ」と云った。彼が自分に結婚を勧めたのは、その晩が始めてではなかった。自分はいつも相手がないとばかり彼に答えていた。彼はしまいに相手を拵えてやると云い出した。そうして一時はそれがほとんど事実になりかけた事もあった。自分はその晩の彼に向ってもやはり同じような挨拶をした。彼はそれをいつもより冷淡なものとして記憶していたのである。「じゃ君のいう通りにするから、本当に相手を出してくれるかい」「本当に僕のいう通りにすれば、本当に好いのを出す」彼は実際心当りがあるような口を利いた。近いうち彼の娶るべき女からでも聞いたのだろう。彼はもう大きな黒い眼をもった精神病の御嬢さんについては多くを語らなかった。「君の未来の細君はやっぱりああいう顔立なんだろう」「さあどうかな。いずれそのうち引き合わせるから見てくれたまえ」「結婚式はいつだい」「ことによると向うの都合で秋まで延ばすかも知れない」彼は愉快らしかった。彼は来るべき彼の生活に、彼のもっている過去の詩を投げかけていた。
十七
四月はいつの間にか過ぎた。花は上野から向島、それから荒川という順序で、だんだん咲いていってだんだん散ってしまった。自分は一年のうちで人の最も嬉しがるこの花の時節を無為に送った。しかし月が替って世の中が青葉で包まれ出してから、ふり返ってやり過ごした春を眺めるとはなはだ物足りなかった。それでも無為に送れただけがありがたかった。家へはその後一回も足を向けなかった。家からも誰一人尋ねて来なかった。電話は母とお重から一二度かかったが、それは自分の着る着物についての用事に過ぎなかった。三沢には全く会わなかった。大阪の岡田からは花の盛りに絵端書がまた一枚来た。前と同じようにお貞さんやお兼さんの署名があった。自分は事務所へ通う動物のごとく暮していた。すると五月の末になって突然三沢から大きな招待状を送って来た。自分は結婚の通知と早合点して封を裂いた。ところが案外にもそれは富士見町の雅楽稽古所からの案内状であった。「六月二日音楽演習相催し候間同日午後一時より御来聴被下度候此段御案内申進候也」と書いてあった。今までこういう方面に関係があるとは思わなかった三沢が、どうしてこんな案内状を自分に送ったのか、まるで解らなかった。半日の後自分はまた彼の手紙を受け取った。その手紙には、六月二日には、是非来いという文句が添えてあった。是非来いというくらいだから彼自身は無論行くにきまっている。自分はせっかくだからまず行って見ようと思い定めた。けれども、雅楽そのものについては大した期待も何もなかった。それよりも自分の気分に転化の刺戟を与えたのは、三沢が余事のごとく名宛のあとへ付け足した、短い報知であった。「Hさんは嘘を吐かない人だ。Hさんはとうとう君の兄さんを説き伏せた。この六月学校の講義を切り上げ次第、二人はどこかへ旅をする事に約束ができたそうだ」自分は父のため母のためかつ兄自身のため喜んだ。あの兄がHさんに対して旅行しようと約束する気分になったとすれば、単にそれだけでも彼には大きい変化であった。偽りの嫌いな彼は必ずそれを実行するつもりでいるに違いなかった。自分は父にも母にも実否を問い合わせなかった。Hさんに向ってもその消息を確める手段を取らなかった。ただ三沢の口からもう少し精しいところを聞かせて貰いたかった。それも今度会った時で構わないという気があるので、彼の是非来いという六月二日が暗に待ち受けられた。六月二日はあいにく雨であった。十一時頃には少し歇んだが、季節が季節なのでからりとは晴れなかった。往来を行く人は傘をさしたり畳んだりした。見附外の柳は煙のように長い枝を垂れていた。その下を通ると、青白い粉か黴が着物にくっついていつまでも落ちないように感ぜられた。雅楽所の門内には俥がたくさん並んでいた。馬車も一二台いた。しかし自動車は一つも見えなかった。自分は玄関先で帽子を人に渡した。その人は金の釦鈕のついた制服のようなものを着ていた。もう一人の人が自分を観覧席へ連れて行ってくれた。「そこいらへおかけなすって」彼はそう云ってまた玄関の方へ帰って行った。椅子はまだ疎らに占領されているだけであった。自分はなるべく人の眼に着かないように後列の一脚に腰を下した。
十八
自分は心のうちで三沢を予期しながら四方を見渡したが彼の姿はどこにも見えなかった。もっとも見所は正面のほか左右両側面にもあった。自分は玄関から左へ突き当って右へ折れて金屏風の立ててある前を通って正面席に案内されたのである。自分の前には紋付の女が二三人いた。後にはカーキー色の軍服を着けた士官が二人いた。そのほか六七人そこここに散点していた。自分から一席置いて隣の二人連は、舞台の正面にかかっている幕の話をしていた。それには雅楽に何の縁故もなさそうに見える変な紋が、竪に何行も染め出されていた。「あれが織田信長の紋ですよ。信長が王室の式微を慨いて、あの幕を献上したというのが始まりで、それから以後は必ずあの木瓜の紋の付いた幕を張る事になってるんだそうです」幕の上下は紫地に金の唐草の模様を置いた縁で包んであった。幕の前を見ると、真中に太鼓が据えてあった。その太鼓には緑や金や赤の美しい彩色が施されてあった。そうして薄くて丸い枠の中に入れてあった。左の端には火熨斗ぐらいの大きさの鐘がやはり枠の中に釣るしてあった。そのほかには琴が二面あった。琵琶も二面あった。楽器の前は青い毛氈で敷きつめられた舞をまう所になっていた。構造は能のそれのように、三方の見所からは全く切り離されていた。そうしてその途切れた四五尺の空間からは日も射し風も通うようにできていた。自分が物珍らしそうにこの様子を見ているうちに、観客は一人二人と絶えず集まって来た。その中には自分がある音楽会で顔だけ覚えたNという侯爵もいた。「今日は教育会があるので来られない」と細君の事か何かを、傍にいた坊主頭の丸々と肥えた小さい人に話していた。この丸い小さな人がKという公爵である事を、自分は後で三沢から教わった。その三沢は舞楽の始まるやっと五六分前にフロックコートでやって来て、入口の金屏風の所でしばらく観覧席を見渡しながら躊躇していたが、自分の顔を見つけるや否や、すぐ傍へ来て腰をかけた。彼と前後して一人の背の高い若い男が、年頃の女を二人連れて、やはり正面席へ這入って来た。男はフロックコートを着ていた。女は無論紋付であった。その男と伴の女の一人が顔立から云ってよく似ているので、自分はすぐ彼らの兄妹である事を覚った。彼らは人の頭を五六列越して、三沢と挨拶を交換した。男の顔にはできるだけの愛嬌が湛えられた。女は心持顔を赤くした。三沢はわざわざ腰を浮かして起立した。婦人はたいてい前の方に席を占めるので、彼らはついに自分達の傍へは来なかった。「あれが僕の妻になるべき人だ」と三沢は小声で自分に告げた。自分は腹の中で、あの夢のような大きな黒い眼の所有者であった精神病のお嬢さんと、自分の二三間前に今席を取った色沢の好いお嬢さんとを比較した。彼女は自分にただ黒い髪と白い襟足とを見せて坐っていた。それも人の影に遮られて自由には見られなかった。「もう一人の女ね」と三沢がまた小声で云いかけた。それから彼は突然ポッケットへ手を入れて、白い紙片と万年筆を取り出した。彼はすぐそれへ何か書き始めた。正面の舞台にはもう楽人が現われた。
十九
彼らは帽子とも頭巾とも名の付けようのない奇抜なものを被っていた。謡曲の富士太鼓を知っていた自分は、おおかたこれが鳥兜というものだろうと推察した。首から下も被りものと同じく現代を超越していた。彼らは錦で作った𧘕𧘔《かみしも》のようなものを着ていた。その𧘕𧘔には骨がないので肩のあたりは柔かな線でぴたりと身体に付いていた。袖には白の先へ幅三寸ぐらいの赤い絹が縫足してあった。彼らはみな白の括り袴を穿いていた。そうして一様に胡坐をかいた。三沢は膝の上で何か書きかけた白い紙をくちゃくちゃにした。自分はそのくちゃくちゃになった紙の塊りを横から眺めた。彼は一言の説明も与えずに正面を見た。青い毛氈の上に左の帳の影から現われたものは鉾をもっていた。これも管絃を奏する人と同じく錦の袖無を着ていた。三沢はいつまで経っても「もう一人の女はね」の続きを云わなかった。観覧席にいるものはことごとく静粛であった。隣同志で話をするのさえ憚かられた。自分は仕方なしに催促を我慢した。三沢も空とぼけて澄ましていた。彼は自分と同じようにここへは始めて顔を出したので、少し硬くなっているらしかった。舞は謹慎な見物の前に、既定のプログラム通り、単調で上品な手足の運動を飽きもせずに進行させて行った。けれども彼らの服装は、題の改まるごとに、閑雅な上代の色彩を、代る代る自分達の眼に映しつつ過ぎた。あるものは冠に桜の花を挿していた。紗の大きな袖の下から燃えるような五色の紋を透かせていた。黄金作の太刀も佩いていた。あるものは袖口を括った朱色の着物の上に、唐錦のちゃんちゃんを膝のあたりまで垂らして、まるで錦に包まれた猟人のように見えた。あるものは簑に似た青い衣をばらばらに着て、同じ青い色の笠を腰に下げていた。――すべてが夢のようであった。われわれの祖先が残して行った遠い記念の匂いがした。みんなありがたそうな顔をしてそれを観ていた。三沢も自分も狐に撮ままれた気味で坐っていた。舞楽が一段落ついた時に、御茶を上げますと誰かが云ったので周囲の人は席を立って別室に動き始めた。そこへ先刻三沢と約束の整ったという女の兄さんが来て、物馴れた口調で彼と話した。彼はこういう方面に関係のある男と見えて、当日案内を受けた誰彼をよく知っていた。三沢と自分はこの人から今までそこいらにいた華族や高官や名士の名を教えて貰った。別室には珈琲とカステラとチョコレートとサンドイッチがあった。普通の会の時のように、無作法なふるまいは見受けられなかったけれども、それでも多少込み合うので、女は坐ったなり席を立たないのがあった。三沢と彼の知人は、菓子と珈琲を盆の上に載せて、わざわざ二人の御嬢さんの所へ持って行った。自分はチョコレートの銀紙を剥しながら、敷居の上に立って、遠くからその様子を偸むように眺めていた。三沢の細君になるべき人は御辞義をして、珈琲茶碗だけを取ったが、菓子には手を触れなかった。いわゆる「もう一人の女」はその珈琲茶碗にさえ容易く手を出さなかった。三沢は盆を持ったまま、引く事もできず進む事もできない態度で立っていた。女の顔が先刻見た時よりも子供子供した苦痛の表情に充ちていた。

