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行人・夏目漱石

33

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三十

我々は二人とも大した旅行癖りょこうへきのない男です。したがって我々の編み上げた旅程もまた経験相応に平凡でした。近くて便利な所を人並に廻って歩けば、それで目的の大半は達せられるくらいな考えで、まず相模さがみ伊豆辺あたりをぼんやり心がけました。それでも私の方が兄さんよりはまだましでした。私は主要な場所と、そこへ行くべき交通機関とをほぼ承知していましたが、兄さんに至ってはほとんど地理や方角を超越していました。兄さんは国府津こうづが小田原おだわらの手前か先か知りませんでした。知らないというよりむしろ構わないのでしょう。これほど一方に無頓着むとんじゃくな兄さんが、なぜ人事上のあらゆる方面に、同じ平然たる態度を見せる事ができないのかと思うと、私は実際不思議な感に打たれざるを得ません。しかしそれは余事です。話が逸それると戻り悪にくくなりますから、なるべく本流を伝つたって、筋を離れないように進む事にしましょう。我々は始め逗子ずしを基点として出発する事に相談をきめていました。ところがその朝新橋へ駆かけつける俥くるまの上で、ふと私の考えが変りました。いかに平凡な旅行にしても、真先に逗子へ行くのは、あまりに平凡過ぎて気が進まなくなったのです。私は停車場ステーションで兄さんに相談の仕直しをやりました。私は行程を逆にして、まず沼津から修善寺しゅぜんじへ出て、それから山越やまごしに伊東の方へ下りようと云いました。小田原と国府津の後先あとさきさえ知らない兄さんに異存のあるはずがないので、我々はすぐ沼津までの切符を買って、そのまま東海道行の汽車に乗り込みました。汽車中では報知に値あたいするような事が別に起りませんでした。先方へ着いても、風呂へ入ったり、飯を食ったり、茶を飲んだりする間は、これといって目に着く点もなかったのです。私は兄さんについて、これはことによると家族の人の参考のために、知らせておく必要があるかも知れないと思い出したのは、その日の晩になってからであります。寝るには早過ぎました。話にはもう飽あきました。私は旅行中に誰でも経験する一種の徒然とぜんに襲われました。ふと床の間の脇わきを見ると、そこに重そうな碁盤ごばんが一面あったので、私はすぐそれを室へやの真中へ持ち出しました。無論兄さんを相手に黒白こくびゃくを争うつもりでした。あなたは御存じだかどうだか知りませんが、私は学校にいた時分、これでよく兄さんと碁ごを打ったものです。その後ご二人とも申し合せたように、ぴたりとやめてしまいましたが、この場合、二人が持て余している時間を、面白く過ごすには碁盤が屈強の道具に違なかったのです。兄さんはしばらく碁盤を眺めていました。そうしておいて「まあ止そう」と云いました。私は思い込んだ勢いで、「そう云わずにやろうじゃないか」と押し返しました。それでも兄さんは「いやいやまあ止そう」と云います。兄さんの顔を見ると、眼と眉まゆの間に変な表情がありました。それが何の碁なんぞと云った風の軽蔑けいべつまたは無頓着むとんじゃくを示していないのですから、私はちょっと異いな心持がしました。しかし無理に強しいるのも厭いやですから、私はとうとう一人で碁石を取り上げて、黒と白を打手違うつてちがいに、盤の上に並べ始めました。兄さんは少しの間それを見ていました。私がなお黙って打ち続けて行きますと、兄さんは不意に座を立って廊下へ出ました。おおかた便所へでも行ったのだろうと思った私は、いっこう兄さんの挙動には注意を払いませんでした。

三十一

案の通り兄さんは時を移さず戻って来ました。そうして突然いきなり「やろう」というや否や、自分の手から、碁石を挘もぎ取るように引ひっ手繰たくりました。私は何の気もつかずに、「よろしい」と答えて、すぐ打ち始めました。我々のは申すまでもなくヘボ碁ですから、石を下くだすのも早いし、勝負の片づくのも雑作ぞうさはありません。一時間のうちに悠ゆうに二番ぐらいは始末ができるくらいだから、見ていても局に対むかっていても、間怠まだるい思いはけっしてないのです。ところを兄さんは、その手早く運んで行く碁面を、しまいまで辛抱して眺めているのは苦痛だと云って、とうとう中途でやめてしまいました。私は心持でも悪くなったのかと思って心配しましたが、兄さんはただ微笑していました。床に入る前になって、私は始めて兄さんからその時の心理状態の説明を聞きました。兄さんは碁を打つのは固もとより、何をするのも厭いやだったのだそうです。同時に、何かしなくってはいられなかったのだそうです。この矛盾がすでに兄さんには苦痛なのでした。兄さんは碁を打ち出せば、きっと碁なんぞ打っていられないという気分に襲われると予知していたのです。けれどもまた打たずにはいられなくなったのです。それでやむをえず盤に向ったのです。盤に向うや否や自烈じれったくなったのです。しまいには盤面に散点する黒と白が、自分の頭を悩ますために、わざと続いたり離れたり、切れたり合ったりして見せる、怪物のように思われたのだそうです。兄さんはもうちっとで、盤面をめちゃめちゃに掻かき乱して、この魔物を追払おっぱらうところだったと云いました。何事も知らなかった私は、少し驚きながらも悪い事をしたと思いました。「いや碁に限った訳じゃない」と云って兄さんは、自分の過失あやまちを許してくれました。私はその時兄さんから、兄さんの平生を聞きました。兄さんの態度は碁を中途でやめた時ですら落ちついていました。上部うわべから見ると何の異状もない兄さんの心持は、おそらくあなた方には理解されていないかも知れません。少くともこういう私には一つの発見でした。兄さんは書物を読んでも、理窟りくつを考えても、飯を食っても、散歩をしても、二六時中何をしても、そこに安住する事ができないのだそうです。何をしても、こんな事をしてはいられないという気分に追いかけられるのだそうです。「自分のしている事が、自分の目的エンドになっていないほど苦しい事はない」と兄さんは云います。「目的でなくっても方便ミインズになれば好いじゃないか」と私が云います。「それは結構である。ある目的があればこそ、方便が定められるのだから」と兄さんが答えます。兄さんの苦しむのは、兄さんが何をどうしても、それが目的にならないばかりでなく、方便にもならないと思うからです。ただ不安なのです。したがってじっとしていられないのです。兄さんは落ちついて寝ていられないから起きると云います。起きると、ただ起きていられないから歩くと云います。歩くとただ歩いていられないから走かけると云います。すでに走け出した以上、どこまで行っても止まれないと云います。止まれないばかりなら好いが刻一刻と速力を増して行かなければならないと云います。その極端を想像すると恐ろしいと云います。冷汗が出るように恐ろしいと云います。怖こわくて怖くてたまらないと云います。

三十二

私は兄さんの説明を聞いて、驚きました。しかしそういう種類の不安を、生れてからまだ一度も経験した事のない私には、理解があっても同情は伴いませんでした。私は頭痛を知らない人が、割れるような痛みを訴えられた時の気分で、兄さんの話に耳を傾けていました。私はしばらく考えました。考えているうちに、人間の運命というものが朧気おぼろげながら眼の前に浮かんで来ました。私は兄さんのために好い慰藉いしゃを見出したと思いました。「君のいうような不安は、人間全体の不安で、何も君一人だけが苦しんでいるのじゃないと覚さとればそれまでじゃないか。つまりそう流転るてんして行くのが我々の運命なんだから」私のこの言葉はぼんやりしているばかりでなく、すこぶる不快に生温なまぬるいものでありました。鋭い兄さんの眼から出る軽侮けいぶの一瞥いちべつと共に葬られなければなりませんでした。兄さんはこう云うのです。「人間の不安は科学の発展から来る。進んで止とどまる事を知らない科学は、かつて我々に止まる事を許してくれた事がない。徒歩から俥くるま、俥から馬車、馬車から汽車、汽車から自動車、それから航空船、それから飛行機と、どこまで行っても休ませてくれない。どこまで伴つれて行かれるか分らない。実に恐ろしい」「そりゃ恐ろしい」と私も云いました。兄さんは笑いました。「君の恐ろしいというのは、恐ろしいという言葉を使っても差支さしつかえないという意味だろう。実際恐ろしいんじゃないだろう。つまり頭の恐ろしさに過ぎないんだろう。僕のは違う。僕のは心臓の恐ろしさだ。脈を打つ活きた恐ろしさだ」私は兄さんの言葉に一毫いちごうも虚偽の分子の交っていない事を保証します。しかし兄さんの恐ろしさを自分の舌で甞なめて見る事はとてもできません。「すべての人の運命なら、君一人そう恐ろしがる必要がない」と私は云いました。「必要がなくても事実がある」と兄さんは答えました。その上下しものような事も云いました。「人間全体が幾世紀かの後のちに到着すべき運命を、僕は僕一人で僕一代のうちに経過しなければならないから恐ろしい。一代のうちならまだしもだが、十年間でも、一年間でも、縮めて云えば一カ月間乃至ないし一週間でも、依然として同じ運命を経過しなければならないから恐ろしい。君は嘘うそかと思うかも知れないが、僕の生活のどこをどんな断片に切って見ても、たといその断片の長さが一時間だろうと三十分だろうと、それがきっと同じ運命を経過しつつあるから恐ろしい。要するに僕は人間全体の不安を、自分一人に集めて、そのまた不安を、一刻一分の短時間に煮つめた恐ろしさを経験している」「それはいけない。もっと気を楽にしなくっちゃ」「いけないぐらいは自分にも好く解っている」私は兄さんの前で黙って煙草たばこを吹かしていました。私は心のうちで、どうかして兄さんをこの苦痛から救い出して上げたいと念じました。私はすべてその他の事を忘れました。今までじっと私の顔を見守っていた兄さんは、その時突然「君の方が僕より偉えらい」と云いました。私は思想の上において、兄さんこそ私に優すぐれていると感じている際でしたから、この賛辞に対して嬉うれしいともありがたいとも思う気は起りませんでした。私はやはり黙って煙草を吹かしていました。兄さんはだんだん落ちついて来ました。それから二人とも一つ蚊帳かやに這入はいって寝ました。

三十三

翌日あくるひも我々は同じ所に泊とまっていました。朝起き抜けに浜辺を歩いた時、兄さんは眠っているような深い海を眺めて、「海もこう静かだと好いね」と喜びました。近頃の兄さんは何でも動かないものが懐なつかしいのだそうです。その意味で水よりも山が気に入るのでした。気に入ると云っても、普通の人間が自然を楽しむ時の心持とは少し違うようです。それは下しもに挙あげる兄さんの言葉で御解りになるでしょう。「こうして髭ひげを生やしたり、洋服を着たり、シガーを銜くわえたりするところは上部うわべから見ると、いかにも一人前ひとりまえの紳士らしいが、実際僕の心は宿なしの乞食こじきみたように朝から晩までうろうろしている。二六時中不安に追いかけられている。情ないほど落ちつけない。しまいには世の中で自分ほど修養のできていない気の毒な人間はあるまいと思う。そういう時に、電車の中やなにかで、ふと眼を上げて向う側を見ると、いかにも苦くのなさそうな顔に出っ食わす事がある。自分の眼が、ひとたびその邪念の萌きざさないぽかんとした顔に注そそぐ瞬間に、僕はしみじみ嬉しいという刺戟しげきを総身そうしんに受ける。僕の心は旱魃かんばつに枯れかかった稲の穂が膏雨こううを得たように蘇よみがえる。同時にその顔――何も考えていない、全く落ちつき払ったその顔が、大変気高く見える。眼が下っていても、鼻が低くっても、雑作ぞうさくはどうあろうとも、非常に気高く見える。僕はほとんど宗教心に近い敬虔けいけんの念をもって、その顔の前に跪ひざまずいて感謝の意を表したくなる。自然に対する僕の態度も全く同じ事だ。昔のようにただうつくしいから玩もてあそぶという心持は、今の僕には起る余裕がない」兄さんはその時電車のなかで偶然見当る尊たっとい顔の部類の中うちへ、私を加えました。私は思いも寄らん事だと云って辞退しました。すると兄さんは真面目まじめな態度でこう云いました。「君でも一日のうちに、損も得も要いらない、善も悪も考えない、ただ天然のままの心を天然のまま顔に出している事が、一度や二度はあるだろう。僕の尊いというのは、その時の君の事を云うんだ。その時に限るのだ」兄さんはこう云われても覚束おぼつかなく見える私のために、具体的な証拠を示してやるというつもりか、昨夜ゆうべ二人が床に入る前の私を取って来てその例に引きました。兄さんはあの折談話の機はずみでつい興奮し過ぎたと自白しました。しかし私の顔を見たときに、その激した心の調子がしだいに収まったと云うのです。私が肯うけがおうと肯うまいと、それには頓着とんじゃくする必要がない、ただその時の私から好い影響を受けて、一時的にせよ苦しい不安を免まぬかれたのだと、兄さんは断言するのです。その時の私は前ぜん云った通りです。ただ煙草たばこを吹かして黙っていただけです。私はその時すべての事を忘れました。独ひとり兄さんをどうにかしてこの不安の裡うちから救って上げたいと念じました。けれども私の心が兄さんに通じようとは思いませんでした。また通じさせようという気は無論ありませんでした。だから何にも云わずに黙って煙草を吹かしていたのです。しかしそこに純粋な誠があったのかも知れません。兄さんはその誠を私の顔に読んだのでしょうか。私は兄さんと砂浜の上をのそりのそりと歩きました。歩きながら考えました。兄さんは早晩宗教の門を潜くぐって始めて落ちつける人間ではなかろうか。もっと強い言葉で同じ意味を繰り返すと、兄さんは宗教家になるために、今は苦痛を受けつつあるのではなかろうか。

三十四

「君近頃神というものについて考えた事はないか」私はしまいにこういう質問を兄さんにかけました。私がここでとくに「近頃」と断ったのは、書生時代の古い回想から来たものであります。その時分は二人共まだ考えの纏まとまらない青二才でしたが、それでも私は思索に耽ふけり勝がちな兄さんと、よく神の存在について云々したものであります。ついでだから申しますが、兄さんの頭はその時分から少しほかの人とは変っていました。兄さんは浮々うかうかと散歩をしていて、ふと自分が今歩いていたなという事実に気がつくと、さあそれが解すべからざる問題になって、考えずにはいられなくなるのでした。歩こうと思えば歩くのが自分に違ちがいないが、その歩こうと思う心と、歩く力とは、はたしてどこから不意に湧わいて出るか、それが兄さんには大いなる疑問になるのでした。二人はそんな事から神とか第一原因とかいう言葉をよく使いました。今から考えると解らずに使ったのでした。しかし口の先で使い慣れた結果、しまいには神もいつか陳腐ちんぷになりました。それから二人とも申し合せたように黙りました。黙ってから何年目になるでしょう。私は静かな夏の朝の、海という深い色を沈める大きな器うつわの前に立って、兄さんと相対しつつ、再び神という言葉を口にしたのであります。しかし兄さんはその言葉を全く忘れていました。思い出す気色けしきさえありませんでした。私の質問に対する返事としては、ただ微かすかな苦笑があの皮肉な唇くちびるの端を横切っただけでした。私は兄さんのこの態度で辟易へきえきするほどに臆病ではありませんでした。また思う事を云い終おおせずに引込むほど疎うとい間柄あいだがらでもありませんでした。私は一歩前へ進みました。「どこの馬の骨だか分らない人間の顔を見てさえ、時々ありがたいという気が起るなら、円満な神の姿を束つかの間まも離れずに拝んでいられる場合には、何百倍幸福になるか知れないじゃないか」「そんな意味のない口先だけの論理ロジックが何の役に立つものかね。そんなら神を僕の前に連れて来て見せてくれるが好い」兄さんの調子にも兄さんの眉間みけんにも自烈じれったそうなものが顫動せんどうしていました。兄さんは突然足下あしもとにある小石を取って二三間波打際なみうちぎわの方に馳かけ出しました。そうしてそれを遥はるかの海の中へ投げ込みました。海は静かにその小石を受け取りました。兄さんは手応てごたえのない努力に、憤いきどおりを起す人のように、二度も三度も同じ所作しょさを繰返しました。兄さんは磯いそへ打ち上げられた昆布こぶだか若布わかめだか、名も知れない海藻かいそうの間を構わず駈かけ廻りました。それからまた私の立って見ている所へ帰って来ました。「僕は死んだ神より生きた人間の方が好きだ」兄さんはこう云うのです。そうして苦しそうに呼息いきをはずませていました。私は兄さんを連れて、またそろそろ宿の方へ引き返しました。「車夫でも、立ん坊でも、泥棒でも、僕がありがたいと思う刹那せつなの顔、すなわち神じゃないか。山でも川でも海でも、僕が崇高だと感ずる瞬間の自然、取りも直さず神じゃないか。そのほかにどんな神がある」兄さんからこう論じかけられた私は、ただ「なるほど」と答えるだけでした。兄さんはその時は物足りない顔をします。しかし後あとになるとやっぱり私に感心したような素振そぶりを見せます。実を云うと、私の方が兄さんにやり込められて感心するだけなのですが。

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