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行人・夏目漱石

34

朗読者: VOICEVOX Nemo / ノーマルこの朗読者の公開朗読はまだない / 朗読停止中

三十五

我々は沼津で二日ほど暮しました。ついでに興津おきつまで行こうかと相談した時、兄さんはいやだと云いました。旅程にかけては、万事私の思いのままになっている兄さんが、なぜその時に限って断然私のもういでを拒絶したものか、私にはとんと解りませんでした。後でその説明を聞いたら、三保みほ松原まつばらだの天女てんにょ羽衣はごろもだのが出て来る所はきらいだと云うのです。兄さんは妙な頭をもった人にちがいありません。我々はついに三島みしままで引き返しました。そこで大仁おおひと行の汽車に乗り換えて、とうとう修善寺しゅぜんじへ行きました。兄さんには始めからこの温泉が大変気に入っていたようです。しかし肝心かんじんの目的地へ着くや否や、兄さんは「おやおや」という失望の声を放ちました。実際兄さんの好いていたのは、修善寺という名前で、修善寺という所ではなかったのです。瑣事さじですが、これも幾分か兄さんの特色になりますからついでにつけ加えておきます。御承知の通りこの温泉場は、山と山が抱合っている隙間すきまから谷底へ陥落したような低い町にあります。一旦いったんそこへ這入はいった者は、どっちを見ても青い壁で鼻がつかえるので、仕方なしに上を見上げなければなりません。俯向うつむいて歩いたら、地面の色さえろくに眼には留まらないくらい狭苦しいのです。今まで海よりも山の方が好いと云っていた兄さんは、修善寺へ来て山に取り囲まれるが早いか、急に窮屈がり出しました。私はすぐ兄さんをれて、表へ出て見ました。すると、普通の町ならまず往来に当る所が、一面の川床かわどこで、青い水が岩につかりながらその中を流れているのです。だから歩くと云っても、歩きたいだけ歩く余地は無論ありませんでした。私は川の真中まんなかの岩の間から出る温泉に兄さんを誘い込みました。男も女もごちゃごちゃに一つとこつかっているのが面白かったからです。不潔な事も話の種になるくらいでした。兄さんと私はさすがにそこへ浴衣ゆかたを投げてて這入はいる勇気はありませんでした。しかし湯の中にいる黒い人間を、岩の上に立って物好ものずきらしくいつまでも眺めていました。兄さんはうれしそうでした。岩から岸に渡した危ない板を踏みながら元の路へ引き返す時に、兄さんは「善男善女ぜんなんぜんにょという言葉を使いました。それが雑談じょうだん半分の形容詞でなく、全くそう思われたらしいのです。翌朝あくるあさ楊枝ようじくわえながら、いっしょに内風呂に浸った時、兄さんは「昨夕ゆうべも寝られないで困った」と云いました。私は今の兄さんに取って寝られないが一番毒だと考えていましたので、ついそれを問題にしました。「寝られないと、どうかして寝よう寝ようとあせるだろう」と私が聞きました。「全くそうだ、だからなお寝られなくなる」と兄さんが答えました。「君、寝なければ誰かにすまない事でもあるのか」と私がまた聞きました。兄さんは変な顔をしました。石で畳んだ風呂槽ふろおけふちに腰をかけて、自分の手や腹を眺めていました。兄さんは御存じの通り余りふとってはいません。「僕も時々寝られない事があるが、寝られないのもまた愉快なものだ」と私が云いました。「どうして」と今度は兄さんが聞きました。私はその時私の覚えていた灯影無睡とうえいむすいてら心清妙香しんせいみょうこうくという古人の句を兄さんのためにげました。すると兄さんはたちまち私の顔を見てにやにや笑いました。「君のような男にそういうおもむきが解るかね」と云って、不審そうな様子をしました。

三十六

その日私はまた兄さんを引張ひっぱり出して今度は山へ行きました。上を見て山に行き、下を向いて湯に入る、それよりほかにする事はまずない所なのですから。兄さんはせた足をむちのように使って細い道を達者に歩きます。その代り疲れる事もまた人一倍早いようです。肥った私がのそのそあとからあがって行くと、木の根に腰をかけて、せえせえ云っています。兄さんのはひとを待ち合せるのではありません。自分が呼息いきを切らしてやむをえずにたおれるのです。兄さんは時々立ち留まって茂みの中に咲いている百合ゆりを眺めました。一度などは白い花片はなびらをとくに指して、「あれは僕の所有だ」と断りました。私にはそれが何の意味だか解りませんでしたが、別に聞き返す気も起らずに、とうとう天辺てっぺんまでのぼりました。二人でそこにある茶屋に休んだ時、兄さんはまた足の下に見える森だの谷だのをして、「あれらもことごとく僕の所有だ」と云いました。二度まで繰り返されたこの言葉で、私は始めて不審を起しました。しかしその不審はその場ですぐ晴らす訳に行きませんでした。私の質問に対する兄さんの答は、たださびしい笑に過ぎなかったのです。我々はその茶店の床几しょうぎの上で、しばらく死んだように寝ていました。その間兄さんは何を考えていたか知りません。私はただ明らかな空を流れる白い雲の様子ばかり見ていました。私の眼はきらきらしました。しだいにかえみちの暑さがおもいやられるようになりました。私は兄さんをうながしてまた山を下りました。その時です。兄さんが突然うしろから私の肩をつかんで、「君の心と僕の心とはいったいどこまで通じていて、どこから離れているのだろう」と聞いたのは。私は立ちどまると同時に、左の肩を二三度強く小突き廻されました。私は身体からだに感ずる動揺を、同じように心でも感じました。私は平生から兄さんを思索家と考えていました。いっしょに旅に出てからは、宗教に這入はいろうと思って這入口はいりくちが分らないで困っている人のようにも解釈して見ました。私が心に動揺を感じたというのは、はたして兄さんのこの質問が、そういう立場から出たのであろうかと迷ったからです。私はあまり物に頓着とんじゃくしない性質たちです。またあまり物に驚かない、いたってどんな男です。けれども出立ぜんあなたからいろいろ依頼を受けたため、兄さんに対してだけは、妙に鋭敏になりたがっていました。私は少し平気の道を踏みはずしそうになりました。「〔Keine Bru:cke fu:hrt von Mensch zu Mensch.〕(人から人へ掛け渡す橋はない)」私はつい覚えていた独逸ドイツことわざを返事に使いました。無論半分は問題を面倒にしない故意こい作略さりゃくまじっていたでしょうが。すると兄さんは、「そうだろう、今の君はそうよりほかに答えられまい」と云うのです。私はすぐ「なぜ」と聞き返しました。「自分に誠実でないものは、けっして他人に誠実であり得ない」私は兄さんのこの言葉を、自分のどこへ応用して好いか気がつきませんでした。「君は僕のおもりになって、わざわざいっしょに旅行しているんじゃないか。僕は君の好意を感謝する。けれどもそういう動機から出る君の言動は、まことよそおいつわりに過ぎないと思う。朋友ほうゆうとしての僕は君から離れるだけだ」兄さんはこう断言しました。そうして私をそこへ取残したまま、一人でどんどん山道をけ下りて行きました。その時私も兄さんの口をほとばしる Einsamkeit, du meine Heimat Einsamkeit !(孤独なるものよ、汝はわが住居すまいなり)という独逸語を聞きました。

三十七

私は心配しいしい宿へ帰りました。兄さんはへやの真ん中にあおい顔をして寝ていました。私の姿を見ても口をきません、動きもしません。私は自然をたっとむ人を、自然のままにしておく方針を取りました。私は静かに兄さんの枕元で一服しました。それから気持の悪い汗を流すために手拭てぬぐいを持って風呂場へ行きました。私が湯槽ゆおけふちに立って身体からだを清めていると、兄さんがあとからやって来ました。二人はその時始めて物を云い合いました。私は「疲れたろう」と聞きました。兄さんは「疲れた」と答えました。ひるぜんに向う頃から兄さんの機嫌きげんはだんだん回復して来ました。私はついに兄さんに向って、先刻さっき山途やまみちで二人の間に起った芝居がかりの動作に云い及びました。兄さんは始めのうちは苦笑していました。しかししまいには居住居いずまいを直して真面目まじめになりました。そうして実際孤独の感にえないのだと云い張りました。私はその時始めて兄さんの口から、彼がただに社会に立ってのみならず、家庭にあっても一様に孤独であるという痛ましい自白を聞かされました。兄さんは親しい私に対して疑念を持っている以上に、その家庭の誰彼をうたぐっているようでした。兄さんの眼には御父さんも御母さんもいつわりうつわなのです。細君はことにそう見えるらしいのです。兄さんはその細君の頭にこの間手を加えたと云いました。「一度っても落ちついている。二度打っても落ちついている。三度目には抵抗するだろうと思ったが、やっぱりさからわない。僕が打てば打つほどむこうはレデーらしくなる。そのために僕はますます無頼漢ごろつき扱いにされなくてはすまなくなる。僕は自分の人格の堕落を証明するために、いかりを小羊の上にらすと同じ事だ。夫のいかりを利用して、自分の優越に誇ろうとする相手は残酷じゃないか。君、女は腕力に訴える男よりはるかに残酷なものだよ。僕はなぜ女が僕にたれた時、って抵抗してくれなかったと思う。抵抗しないでも好いから、なぜ一言ひとことでも云い争ってくれなかったと思う」こういう兄さんの顔は苦痛にちていました。不思議な事に兄さんはこれほど鮮明に自分が細君に対する不快な動作を話しておきながら、その動作をあえてするに至った原因については、具体的にほとんど何事も語らないのです。兄さんはただ自分の周囲が偽で成立していると云います。しかもその偽を私の眼の前で組み立てて見せようとはしません。私は何でこの空漠くうばくな響をもつ偽という字のために、兄さんがそれほど興奮するかを不審がりました。兄さんは私が偽という言葉を字引で知っているだけだから、そんな迂濶うかつな不審を起すのだと云って、実際に遠い私をたしなめました。兄さんから見れば、私は実際に遠い人間なのです。私はいて兄さんから偽の内容を聞こうともしませんでした。したがって兄さんの家庭にはどんな面倒な事情がもつれ合っているか、私にはとんと解りません。好んで聞くべき筋でもなし、また聞いておかないでも、家庭の一員たるあなたには報道の必要のない事と思いましたから、そのままにしてすましました。ただ御参考までに一言いちごん注意しておきますが、兄さんはその時御両親や奥さんについて、抽象的ながら云々うんぬんされたにかかわらず、あなたに関しては、二郎という名前さえ口にされませんでした。それからお重さんとかいう妹さんの事についても何にも云われませんでした。

三十八

私が兄さんにマラルメの話をしたのは修善寺しゅぜんじを立って小田原へ来た晩の事です。専門の違うあなただから、あるいは失礼にもなるまいと思って書き添えますが、マラルメと云うのは有名な仏蘭西フランスの詩人の名前です。こういう私も実はその名前だけしか知らないのです。だから話と云ったところで作物さくぶつの批評などではありません。東京を立つ前に、取りつけの外国雑誌の封を切って、ちょっと眼を通したら、そのうちにこの詩人の逸話があったのを、面白いと思って覚えていたので、私はついそれを挙げて、兄さんの反省をうながして見たくなったのです。このマラルメと云う人にも多くの若い崇拝者がありました。その人達はよく彼の家に集まって、彼の談話に耳を傾けるよいふかしたのですが、いかに多くの人が押しかけても、彼のすわるべき場所は必ず暖炉だんろそばで、彼の腰をおろすのは必ず一箇の揺椅ゆりいすときまっていました。これは長い習慣でさだめられた規則のように、誰も犯すものがなかったという事です。ところがある晩新しい客が来ました。たしか英吉利イギリスのシモンズだったという話ですが、その客は今日こんにちまでの習慣をまるで知らないので、どの席もどの椅子いすも同じあたいと心得たのでしょう、当然マラルメの坐るべきかの特別の椅子へ腰をかけてしまいました。マラルメは不安になりました。いつものように話にが入りませんでした。一座は白けました。「何という窮屈な事だろう」私はマラルメの話をしたあとで、こういう一句の断案を下しました。そうして兄さんに向って、「君の窮屈な程度はマラルメよりもはげしい」と云いました。兄さんは鋭敏な人です。美的にも倫理的にも、智的にも鋭敏過ぎて、つまり自分を苦しめに生れて来たような結果におちいっています。兄さんには甲でも乙でも構わないというどんなところがありません。必ず甲か乙かのどっちかでなくては承知できないのです。しかもその甲なら甲の形なり程度なり色合いろあいなりが、ぴたりと兄さんの思う坪にはまらなければうけがわないのです。兄さんは自分が鋭敏なだけに、自分のこうと思った針金のようにきわどい線の上を渡って生活のを進めて行きます。その代り相手も同じ際どい針金の上を、踏みはずさずに進んで来てくれなければ我慢しないのです。しかしこれが兄さんのわがままから来ると思うと間違いです。兄さんの予期通りに兄さんに向って働きかける世の中を想像して見ると、それは今の世の中よりはるかに進んだものでなければなりません。したがって兄さんは美的にも智的にも乃至ないし倫理的にも自分ほど進んでいない世の中をむのです。だからただのわがままとは違うでしょう。椅子を失って不安になったマラルメの窮屈ではありますまい。しかし苦しいのはあるいはそれ以上かも知れません。私はどうかしてそのくるしみから兄さんを救い出したいと念じているのです。兄さんも自分でその苦しみにえ切れないで、水におぼれかかった人のように、ひたすら藻掻もがいているのです。私には心のなかのその争いがよく見えます。しかし天賦てんぷの能力と教養の工夫とでようやく鋭くなった兄さんの眼を、ただ落ちつきを与える目的のために、再びくらくしなければならないという事が、人生の上においてどんな意義になるでしょうか。よし意義があるにしたところで、人間としてできうる仕事でしょうか。私はよく知っていました。考えて考えて考え抜いた兄さんの頭には、血と涙で書かれた宗教の二字が、最後の手段として、おどり叫んでいる事を知っていました。

三十九

「死ぬか、気が違うか、それでなければ宗教に入るか。僕の前途にはこの三つのものしかない」兄さんははたしてこう云い出しました。その時兄さんの顔は、むしろ絶望の谷におもむく人のように見えました。「しかし宗教にはどうも這入はいれそうもない。死ぬのも未練に食いとめられそうだ。なればまあ気違だな。しかし未来の僕はさておいて、現在の僕は君正気しょうきなんだろうかな。もうすでにどうかなっているんじゃないかしら。僕はこわくてたまらない」兄さんは立って縁側えんがわへ出ました。そこから見える海を手摺てすりってしばらく眺めていました。それからへやの前を二三度行ったり来たりしたあとまた元の所へ帰って来ました。「椅子ぐらい失って心の平和を乱されるマラルメは幸いなものだ。僕はもうたいていなものを失っている。わずかに自己の所有として残っているこの肉体さえ、(この手や足さえ、)遠慮なく僕を裏切るくらいだから」兄さんのこの言葉は、好い加減な形容ではないのです。昔から内省の力に勝っていた兄さんは、あまり考えた結果として、今はこの力の威圧に苦しみ出しているのです。兄さんは自分の心がどんな状態にあろうとも、一応それを振り返って吟味した上でないと、けっして前へ進めなくなっています。だから兄さんの命の流れは、刹那せつな刹那にぽつぽつと中断されるのです。食事中一分ごとに電話口へ呼び出されるのと同じ事で、苦しいにちがいありません。しかし中断するのも兄さんの心なら、中断されるのも兄さんの心ですから、兄さんはつまるところ二つの心に支配されていて、その二つの心がよめしゅうとのように朝から晩まで責めたり、責められたりしているために、寸時の安心も得られないのです。私は兄さんの話を聞いて、始めて何も考えていない人の顔が一番気高けだかいと云った兄さんの心を理解する事ができました。兄さんがこの判断に到着したのは、全く考えた御蔭おかげです。しかし考えた御蔭でこの境界きょうがいには這入れないのです。兄さんは幸福になりたいと思って、ただ幸福の研究ばかりしたのです。ところがいくら研究を積んでも、幸福は依然として対岸にあったのです。私はとうとう兄さんの前に神という言葉を持ち出しました。そうして意外にも突然兄さんから頭を打たれました。しかしこれは小田原で起った最後の幕です。頭を打たれる前にまだ一節いっせつありますから、まずそれから御報知しようと思います。しかし前にも申した通り、あなたと私とはまるで専門が違いますので、私の筆にする事が、時によると変に物識ものしりめいた余計よけいぐさのように、あなたの眼に映るかも知れません。それであなたに関係のない片仮名などを入れる時は、なおさら躊躇ちゅうちょしがちになりますが、これでも必要と認めない限り、なるべくそんな性質たちの文字は、はぶいているのですから、あなたもそのつもりで虚心に読んで下さい。少しでもあなたの心に軽薄という疑念が起るようでは、せっかく書いて上げたものが、前後を通じて、何の役にも立たなくなる恐れがありますから。私がまだ学校にいた時分、モハメッドについて伝えられたしものような物語を、何かの書物で読んだ事があります。モハメッドは向うに見える大きな山を、自分の足元へ呼び寄せて見せるというのだそうです。それを見たいものは何月何日を期してどこへ集まれというのだそうです。

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