四十
期日になって幾多の群衆が彼の周囲を取巻いた時、モハメッドは約束通り大きな声を出して、向うの山にこっちへ来いと命令しました。ところが山は少しも動き出しません。モハメッドは澄ましたもので、また同じ号令をかけました。それでも山は依然としてじっとしていました。モハメッドはとうとう三度号令を繰返さなければならなくなりました。しかし三度云っても、動く気色の見えない山を眺めた時、彼は群衆に向って云いました。――「約束通り自分は山を呼び寄せた。しかし山の方では来たくないようである。山が来てくれない以上は、自分が行くよりほかに仕方があるまい」。彼はそう云って、すたすた山の方へ歩いて行ったそうです。この話を読んだ当時の私はまだ若うございました。私はいい滑稽の材料を得たつもりで、それを方々へ持って廻りました。するとそのうちに一人の先輩がありました。みんなが笑うのに、その先輩だけは「ああ結構な話だ。宗教の本義はそこにある。それで尽している」と云いました。私は解らぬながらも、その言葉に耳を傾けました。私が小田原で兄さんに同じ話を繰返したのは、それから何年目になりますか、話は同じ話でも、もう滑稽のためではなかったのです。「なぜ山の方へ歩いて行かない」私が兄さんにこう云っても、兄さんは黙っています。私は兄さんに私の主意が徹しないのを恐れて、つけ足しました。「君は山を呼び寄せる男だ。呼び寄せて来ないと怒る男だ。地団太を踏んで口惜しがる男だ。そうして山を悪く批判する事だけを考える男だ。なぜ山の方へ歩いて行かない」「もし向うがこっちへ来るべき義務があったらどうだ」と兄さんが云います。「向うに義務があろうとあるまいと、こっちに必要があればこっちで行くだけの事だ」と私が答えます。「義務のないところに必要のあるはずがない」と兄さんが主張します。「じゃ幸福のために行くさ。必要のために行きたくないなら」と私がまた答えます。兄さんはこれでまた黙りました。私のいう意味はよく兄さんに解っているのです。けれども是非、善悪、美醜の区別において、自分の今日までに養い上げた高い標準を、生活の中心としなければ生きていられない兄さんは、さらりとそれを擲って、幸福を求める気になれないのです。むしろそれにぶら下がりながら、幸福を得ようと焦燥るのです。そうしてその矛盾も兄さんにはよく呑み込めているのです。「自分を生活の心棒と思わないで、綺麗に投げ出したら、もっと楽になれるよ」と私がまた兄さんに云いました。「じゃ何を心棒にして生きて行くんだ」と兄さんが聞きました。「神さ」と私が答えました。「神とは何だ」と兄さんがまた聞きました。私はここでちょっと自白しなければなりません。私と兄さんとこう問答をしているところを御読みになるあなたには、私がさも宗教家らしく映ずるかも知れませんが、――私がどうかして兄さんを信仰の道に引き入れようと力めているように見えるかも知れませんが、実を云うと、私は耶蘇にもモハメッドにも縁のない、平凡なただの人間に過ぎないのです。宗教というものをそれほど必要とも思わないで、漫然と育った自然の野人なのです。話がとかくそちらへ向くのは、全く相手に兄さんという烈しい煩悶家を控えているためだったのです。
四十一
私が兄さんにやられた原因も全くそこにあったのです。事実私は神というものを知らない癖に、神という言葉を口にしました。兄さんから反問された時に、それは天とか命とかいう意味と同じものだと漠然答えておいたら、まだよかったかも知れません。ところが前後の行きがかり上、私にはそんな説明の余裕がなくなりました。その時の問答はたしか下のような順序で進行したかと思います。私「世の中の事が自分の思うようにばかりならない以上、そこに自分以外の意志が働いているという事実を認めなくてはなるまい」「認めている」私「そうしてその意志は君のよりも遥に偉大じゃないか」「偉大かも知れない、僕が負けるんだから。けれども大概は僕のよりも不善で不美で不真だ。僕は彼らに負かされる訳がないのに負かされる。だから腹が立つのだ」私「それは御互に弱い人間同志の競合を云うんだろう。僕のはそうじゃない、もっと大きなものを指すのだ」「そんな瞹眛なものがどこにある」私「なければ君を救う事ができないだけの話だ」「じゃしばらくあると仮定して……」私「万事そっちへ委任してしまうのさ。何分宜しく御頼み申しますって。君、俥に乗ったら、落ことさないように車夫が引いてくれるだろうと安心して、俥の上で寝る事はできないか」「僕は車夫ほど信用できる神を知らないのだ。君だってそうだろう。君のいう事は、全く僕のために拵えた説教で、君自身に実行する経典じゃないのだろう」私「そうじゃない」「じゃ君は全く我を投げ出しているね」私「まあそうだ」「死のうが生きようが、神の方で好いように取計ってくれると思って安心しているね」私「まあそうだ」私は兄さんからこう詰寄せられた時、だんだん危しくなって来るような気がしました。けれども前後の勢いが自分を支配している最中なので、またどうする訳にも行きません。すると兄さんが突然手を挙げて、私の横面をぴしゃりと打ちました。私は御承知の通りよほど神経の鈍くできた性質です。御蔭で今日まで余り人と争った事もなく、また人を怒らした試も知らずに過ぎました。私の鈍いせいでもあったでしょうが、子供の時ですら親に打たれた覚えはありません。成人しては無論の事です。生れて始めて手を顔に加えられた私はその時われ知らずむっとしました。「何をするんだ」「それ見ろ」私にはこの「それ見ろ」が解らなかったのです。「乱暴じゃないか」と私が云いました。「それ見ろ。少しも神に信頼していないじゃないか。やっぱり怒るじゃないか。ちょっとした事で気分の平均を失うじゃないか。落ちつきが顛覆するじゃないか」私は何とも答えませんでした。また何とも答えられませんでした。そのうちに兄さんはつと座を立ちました。私の耳にはどんどん階子段を馳け下りて行く兄さんの足音だけが残りました。
四十二
私は下女を呼んで伴の御客さんはどうしたと聞いて見ました。「今しがた表へ御出になりました。おおかた浜でしょう」下女の返事が私の想像と一致したので、私はそれ以上の掛念を省いて、ごろりとそこに横になりました。すると衣桁の端にかかっている兄さんの夏帽子がすぐ眼に着きました。兄さんはこの暑いのに帽子も被らずにどこかへ飛び出して行ったのです。あなたのように、兄さんの一挙一動を心配する人から見たら、仰向けに寝そべったその時の私の姿は、少し呑気過ぎたかも知れません。これは固より私の鈍い神経の仕業に違ないのです。けれどもただ鈍いだけで説明する以外に、もう少し御参考になる点も交っているようですから、それをちょっと申上げます。私は兄さんの頭を信じていました。私よりも鋭敏な兄さんの理解力に尊敬を払っていました。兄さんは時々普通の人に解らないような事を出し抜けに云います。それが知らないものの耳や、教育の乏しい男の耳には、どこかに破目の入った鐘の音として、変に響くでしょうけれども、よく兄さんを心得た私には、かえって習慣的な言説よりはありがたかったのです。私は平生からそこに兄さんの特色を認めていました。だから心配の必要はないと、あれほど強くあなたに断言して憚らなかったのです。それでいっしょに旅に出ました。旅へ出てからの兄さんは今まで私が叙述して来た通りですが、私はこの旅行先の兄さんのために、少しずつ故の考えを訂正しなければならないようになって来たのです。私は兄さんの頭が、私より判然と整っている事について、今でも少しの疑いを挟さむ余地はないと思います。しかし人間としての今の兄さんは、故に較べると、どこか乱れているようです。そうしてその乱れる原因を考えて見ると、判然と整った彼の頭の働きそのものから来ているのです。私から云えば、整った頭には敬意を表したいし、また乱れた心には疑いをおきたいのですが、兄さんから見れば、整った頭、取りも直さず乱れた心なのです。私はそれで迷います。頭は確である、しかし気はことによると少し変かも知れない。信用はできる、しかし信用はできない。こう云ったらあなたはそれを満足な報道として受け取られるでしょうか。それよりほかに云いようのない私は、自分自身ですでに困ってしまったのです。私は梯子段をどんどん馳け下りて行った兄さんをそのままにして、ごろりと横になりました。私はそれほど安心していたのです。帽子も被らずに出て行ったくらいだから、すぐ帰るにきまっていると考えたのです。しかし兄さんは予想通りそう手軽くは戻りませんでした。すると私もついに大の字になっていられなくなりました。私はしまいに明らかな不安を抱いて起ち上りました。浜へ出ると、日はいつか雲に隠れていました。薄どんよりと曇り掛けた空と、その下にある磯と海が、同じ灰色を浴びて、物憂く見える中を、妙に生温い風が磯臭く吹いて来ました。私はその灰色を彩どる一点として、向うの波打際に蹲踞んでいる兄さんの姿を、白く認めました。私は黙ってその方角へ歩いて行きました。私は後から声をかけた時、兄さんはすぐ立ち上って「先刻は失敬した」と云いました。兄さんは目的もなくまたとめどもなくそこいらを歩いたあげく、しまいに疲れたなりで疲れた場所に蹲踞んでしまったのだそうです。「山に行こう。もうここは厭になった。山に行こう」兄さんは今にも山へ行きたい風でした。
四十三
我々はその晩とうとう山へ行く事になりました。山と云っても小田原からすぐ行かれる所は箱根のほかにありません。私はこの通俗な温泉場へ、最も通俗でない兄さんを連れ込んだのです。兄さんは始めから、きっと騒々しいに違ないと云っていました。それでも山だから二三日は我慢できるだろうと云うのです。「我慢しに温泉場へ行くなんてもったいない話だ」これもその時兄さんの口から出た自嘲の言葉でした。はたして兄さんは着いた晩からして、やかましい隣室の客を我慢しなければならなくなりました。この客は東京のものか横浜のものか解りませんが、何でも言葉の使いようから判断すると、商人とか請負師とか仲買とかいう部に属する種類の人間らしく思われました。時々不調和に大きな声を出します。傍若無人に騒ぎます。そういう事にあまり頓着のない私さえずいぶん辟易しました。御蔭でその晩は兄さんも私もちっともむずかしい話をしずに寝てしまいました。つまり隣りの男が我々の思索を破壊するために騒いだ事に当るのです。翌る朝私が兄さんに向って、「昨夜は寝られたか」と聞きますと、兄さんは首を掉って、「寝られるどころか。君は実に羨ましい」と答えました。私はどうしても寝つかれない兄さんの耳に、さかんな鼾声を終宵聞かせたのだそうです。その日は夜明から小雨が降っていました。それが十時頃になると本降に変りました。午少し過には、多少の暴模様さえ見えて来ました。すると兄さんは突然立ち上って尻を端折ります。これから山の中を歩くのだと云います。凄まじい雨に打たれて、谷崖の容赦なくむやみに運動するのだと主張します。御苦労千万だとは思いましたが、兄さんを思い留らせるよりも、私が兄さんに賛成した方が、手数が省けますので、つい「よかろう」と云って、私も尻を端折りました。兄さんはすぐ呼息の塞るような風に向って突進しました。水の音だか、空の音だか、何ともかとも喩えられない響の中を、地面から跳ね上る護謨球のような勢いで、ぽんぽん飛ぶのです。そうして血管の破裂するほど大きな声を出して、ただわあっと叫びます。その勢いは昨夜の隣室の客より何層倍猛烈だか分りません。声だって彼よりも遥に野獣らしいのです。しかもその原始的な叫びは、口を出るや否や、すぐ風に攫って行かれます。それをまた雨が追いかけて砕き尽します。兄さんはしばらくして沈黙に帰りました。けれどもまだ歩き廻りました。呼息が切れて仕方なくなるまで歩き廻りました。我々が濡れ鼠のようになって宿へ帰ったのは、出てから一時間目でしたろうか、また二時間目にかかりましたろうか。私は臍の底まで冷えました。兄さんは唇の色を変えていました。湯に這入って暖まった時、兄さんはしきりに「痛快だ」と云いました。自然に敵意がないから、いくら征服されても痛快なんでしょう。私はただ「御苦労な事だ」と云って、風呂のなかで心持よく足を伸ばしました。その晩は予期に反して、隣の室がひっそりと静まっていました。下女に聞いて見ると、兄さんを悩ました昨夕の客は、いつの間にかもう立ってしまったのでした。私が兄さんから思いがけない宗教観を聞かされたのはその宵の事です。私はちょっと驚きました。
四十四
あなたも現代の青年だから宗教という古めかしい言葉に対してあまり同情は持っていられないでしょう。私も小むずかしい事はなるべく言わずにすましたいのです。けれども兄さんを理解するためには、ぜひともそこへ触れて来なければなりません。あなたには興味もなかろうし、また意外でもあろうけれども、それを遠慮する以上、肝腎の兄さんが不可解になるだけだから、辛抱してここのところをとばさずに読んで下さい。辛抱さえなされば、あなたにはよく解る事なんです。読んでそうして善く兄さんを呑み込んだ上、御老人方の合点のゆかれるように御宅へ紹介して上げて下さい。私は兄さんについて過度の心労をされる御年寄に対して実際御気の毒に思っています。しかし今のところあなたを通してよりほかに、ありのままの兄さんを、兄さんの家庭に知らせる手段はないのだから、あなたも少し真面目になって、聞き慣れない字面に眼を御注ぎなさい。私は酔興でむずかしい事を書くのではありません。むずかしい事が活きた兄さんの一部分なのだから仕方がないのです。二つを引き離すと血や肉からできた兄さんもまた存在しなくなるのです。兄さんは神でも仏でも何でも自分以外に権威のあるものを建立するのが嫌いなのです。(この建立という言葉も兄さんの使ったままを、私が踏襲するのです)。それではニイチェのような自我を主張するのかというとそうでもないのです。「神は自己だ」と兄さんが云います。兄さんがこう強い断案を下す調子を、知らない人が蔭で聞いていると、少し変だと思うかも知れません。兄さんは変だと思われても仕方のないような激した云い方をします。「じゃ自分が絶対だと主張すると同じ事じゃないか」と私が非難します。兄さんは動きません。「僕は絶対だ」と云います。こういう問答を重ねれば重ねるほど、兄さんの調子はますます変になって来ます。調子ばかりではありません、云う事もしだいに尋常を外れて来ます。相手がもし私のようなものでなかったならば、兄さんは最後まで行かないうちに、純粋な気違として早く葬られ去ったに違ありません。しかし私はそう容易く彼を見棄てるほどに、兄さんを軽んじてはいませんでした。私はとうとう兄さんを底まで押しつめました。兄さんの絶対というのは、哲学者の頭から割り出された空しい紙の上の数字ではなかったのです。自分でその境地に入って親しく経験する事のできる判切した心理的のものだったのです。兄さんは純粋に心の落ちつきを得た人は、求めないでも自然にこの境地に入れるべきだと云います。一度この境界に入れば天地も万有も、すべての対象というものがことごとくなくなって、ただ自分だけが存在するのだと云います。そうしてその時の自分は有るとも無いとも片のつかないものだと云います。偉大なようなまた微細なようなものだと云います。何とも名のつけようのないものだと云います。すなわち絶対だと云います。そうしてその絶対を経験している人が、俄然として半鐘の音を聞くとすると、その半鐘の音はすなわち自分だというのです。言葉を換えて同じ意味を表わすと、絶対即相対になるのだというのです、したがって自分以外に物を置き他を作って、苦しむ必要がなくなるし、また苦しめられる掛念も起らないのだと云うのです。「根本義は死んでも生きても同じ事にならなければ、どうしても安心は得られない。すべからく現代を超越すべしといった才人はとにかく、僕は是非共生死を超越しなければ駄目だと思う」兄さんはほとんど歯を喰いしばる勢でこう言明しました。

