四十九
一昨日の晩は二人で浜を散歩しました。私たちのいる所から海辺までは約三丁もあります。細い道を通って、いったん街道へ出て、またそれを横切らなければ海の色は見えないのです。月の出にはまだ間がある時刻でした。波は存外暗く動いていました。眼がなれるまでは、水と磯との境目が判然分らないのです。兄さんはその中を容赦なくずんずん歩いて行きます。私は時々生温い水に足下を襲われました。岸へ寄せる波の余りが、のし餅のように平らに拡がって、思いのほか遠くまで押し上げて来るのです。私は後から兄さんに、「下駄が濡れやしないか」と聞きました。兄さんは命令でも下すように、「尻を端折れ」と云いました。兄さんは先刻から足を汚す覚悟で、尻を端折っていたものと見えます。二三間離れた私にはそれが分らないくらい四囲が暗いのでした。けれども時節柄なんでしょう、避暑地だけあって人に会います。そうして会う人も会う人も、必ず男女二人連に限られていました。彼らは申し合せたように、黙って闇の中を辿って来ます。だから忽然私たちの前へ現われるまでは、まるで気がつかないのです。彼らが摺り抜けるように私たちの傍を通って行く時、眼を上げて物色すると、どれもこれも若い男と若い女ばかりです。私はこういう一対に何度か出合いました。私が兄さんからお貞さんという人の話を聞いたのはその時の事でした。お貞さんは近頃大阪の方へ御嫁に行ったんだそうですから、兄さんはその宵に出逢った幾組かの若い男や女から、お貞さんの花嫁姿を連想でもしたのでしょう。兄さんはお貞さんを宅中で一番慾の寡ない善良な人間だと云うのです。ああ云うのが幸福に生れて来た人間だと云って羨ましがるのです。自分もああなりたいと云うのです。お貞さんを知らない私は、何とも評しようがありませんから、ただそうかそうかと答えておきました。すると兄さんが「お貞さんは君を女にしたようなものだ」と云って砂の上へ立ちどまりました。私も立ちどまりました。向うの高い所に微かな灯火が一つ眼に入りました。昼間見ると、その見当に赤い色の建物が樹の間隠に眺められますから、この灯火もおおかたその赤い洋館の主が点けているのでしょう。濃い夜陰の色の中にたった一つかけ離れて星のように光っているのです。私の顔はその灯火の方を向いていました。兄さんはまた浪の来る海をまともに受けて立ちました。その時二人の頭の上で、ピアノの音が不意に起りました。そこは砂浜から一間の高さに、石垣を規則正しく積み上げた一構で、庭から浜へじかに通えるためでしょう、石垣の端には階段が筋違に庭先まで刻み上げてありました。私はその石段を上りました。庭には家を洩れる電灯の光が、線のように落ちていました。その弱い光で照されていた地面は一体の芝生でした。花もあちこちに咲いているようでしたが、これは暗い上に広い庭なので、判然とは分りませんでした。ピアノの音は正面に見える洋館の、明るく照された一室から出るようでした。「西洋人の別荘だね」「そうだろう」兄さんと私は石段の一番上の所に並んで腰をかけました。聞こえないようなまた聞こえるようなピアノの音が、時々二人の耳を掠めに来ます。二人共無言でした。兄さんの吸う煙草の先が時々赤くなりました。
五十
私はお貞さんのつづきでも出る事と思って、暗い中でそれとなく兄さんの声を待ち受けていたのですが、兄さんは煙草に魅せられた人のように、時々紙巻の先を赤くするだけで、なかなか口を開きません。それを石段の下へ投げて私の方へ向いた時は、もう話題がお貞さんを離れていました。私は少し意外に思いました。兄さんの題目は、お貞さんに関係のないばかりか、ピアノの音にも、広い芝生にも、美しい別荘にも、乃至は避暑にも旅行にも、すべて我々の周囲と現在とは全く交渉を絶った昔の坊さんの事でした。坊さんの名はたしか香厳とか云いました。俗にいう一を問えば十を答え、十を問えば百を答えるといった風の、聡明霊利に生れついた人なのだそうです。ところがその聡明霊利が悟道の邪魔になって、いつまで経っても道に入れなかったと兄さんは語りました。悟を知らない私にもこの意味はよく通じます。自分の智慧に苦しみ抜いている兄さんにはなおさら痛切に解っているでしょう。兄さんは「全く多知多解が煩をなしたのだ」ととくに注意したくらいです。数年の間百丈禅師とかいう和尚さんについて参禅したこの坊さんはついに何の得るところもないうちに師に死なれてしまったのです。それで今度は潙山という人の許に行きました。潙山は御前のような意解識想をふり舞わして得意がる男はとても駄目だと叱りつけたそうです。父も母も生れない先の姿になって出て来いと云ったそうです。坊さんは寮舎に帰って、平生読み破った書物上の知識を残らず点検したあげく、ああああ画に描いた餅はやはり腹の足にならなかったと嘆息したと云います。そこで今まで集めた書物をすっかり焼き棄ててしまったのです。「もう諦めた。これからはただ粥を啜って生きて行こう」こう云った彼は、それ以後禅のぜの字も考えなくなったのです。善も投げ悪も投げ、父母の生れない先の姿も投げ、いっさいを放下し尽してしまったのです。それからある閑寂な所を選んで小さな庵を建てる気になりました。彼はそこにある草を芟りました。そこにある株を掘り起しました。地ならしをするために、そこにある石を取って除けました。するとその石の一つが竹藪にあたって戞然と鳴りました。彼はこの朗かな響を聞いて、はっと悟ったそうです。そうして一撃に所知を亡うと云って喜んだといいます。「どうかして香厳になりたい」と兄さんが云います。兄さんの意味はあなたにもよく解るでしょう。いっさいの重荷を卸して楽になりたいのです。兄さんはその重荷を預かって貰う神をもっていないのです。だから掃溜か何かへ棄ててしまいたいと云うのです。兄さんは聡明な点においてよくこの香厳という坊さんに似ています。だからなおのこと香厳が羨ましいのでしょう。兄さんの話は西洋人の別荘や、ハイカラな楽器とは、全く縁の遠いものでした。なぜ兄さんが暗い石段の上で、磯の香を嗅ぎながら、突然こんな話をし出したか、それは私には解りません。兄さんの話が済んだ頃はピアノの音ももう聞こえませんでした。潮に近いためか、夜露のせいか、浴衣が湿っぽくなっていました。私は兄さんを促してまたもとの道へ引き返しました。往来へ出た時、私は行きつけの菓子屋へ寄って饅頭を買いました。それを食いながら暗い中を黙って宅まで帰って来ました。留守を頼んでおいた爺さんの所の子供は、蚊に喰われるのも構わずぐうぐう寝ていました。私は饅頭の余りをやって、すぐ子供を帰してやりました。
五十一
昨日の朝食事をした時、飯櫃を置いた位地の都合から、私が兄さんの茶碗を受けとって、一膳目の御飯をよそってやりますと、兄さんはまたお貞さんの名を私の耳に訴えました。お貞さんがまだ嫁に行かないうちは、ちょうど今私がしたように、始終兄さんのお給仕をしたものだそうですね。昨夜は性格の点からお貞さんに比較され、今朝はまたお給仕の具合で同じお貞さんにたとえられた私は、つい兄さんに向って質問を掛けて見る気になりました。「君はそのお貞さんとかいう人と、こうしていっしょに住んでいたら幸福になれると思うのか」兄さんは黙って箸を口へ持って行きました。私は兄さんの態度から推して、おおかた返事をするのが厭なんだろうと考えたので、それぎり後を推しませんでした。すると兄さんの答が、御飯を二口三口嚥み下したあとで、不意に出て来ました。「僕はお貞さんが幸福に生れた人だと云った。けれども僕がお貞さんのために幸福になれるとは云やしない」兄さんの言葉はいかにも論理的に終始を貫いて真直に見えます。けれども暗い奥には矛盾がすでに漂よっています。兄さんは何にも拘泥していない自然の顔をみると感謝したくなるほど嬉しいと私に明言した事があるのです。それは自分が幸福に生れた以上、他を幸福にする事もできると云うのと同じ意味ではありませんか。私は兄さんの顔を見てにやにやと笑いました。兄さんはそうなるとただではすまされない男です。すぐ食いついて来ます。「いや本当にそうなのだ。疑ぐられては困る。実際僕の云った事は云った事で、云わない事は云わない事なんだから」私は兄さんに逆らいたくはありませんでした。けれどもこれほど頭の明かな兄さんが、自分の平生から軽蔑している言葉の上の論理を弄んで、平気でいるのは少しおかしいと思いました。それで私の腹にあった兄さんの矛盾を遠慮なく話して聞かせました。兄さんはまた無言で飯を二口ほど頬張りました。兄さんの茶碗はその時空になりましたが、飯櫃は依然として兄さんの手の届かない私の傍にありました。私はもう一遍給仕をする考えで、兄さんの鼻の先へ手を出したのです。ところが今度は兄さんが応じません。こっちへ寄こしてくれと云います。私は飯櫃を向うへ押してやりました。兄さんは自分でしゃもじを取って、飯をてこ盛にもり上げました。それからその茶碗を膳の上に置いたまま、箸も執らずに私に問いかけるのです。「君は結婚前の女と、結婚後の女と同じ女だと思っているのか」こうなると私にはおいそれと返事ができなくなります。平生そんな事を考えて見ないからでもありましょうが。今度は私の方が飯を二口三口立て続けに頬張って、兄さんの説明を待ちました。「嫁に行く前のお貞さんと、嫁に行ったあとのお貞さんとはまるで違っている。今のお貞さんはもう夫のためにスポイルされてしまっている」「いったいどんな人のところへ嫁に行ったのかね」と私が途中で聞きました。「どんな人のところへ行こうと、嫁に行けば、女は夫のために邪になるのだ。そういう僕がすでに僕の妻をどのくらい悪くしたか分らない。自分が悪くした妻から、幸福を求めるのは押が強過ぎるじゃないか。幸福は嫁に行って天真を損われた女からは要求できるものじゃないよ」兄さんはそういうや否や、茶碗を取り上げて、むしゃむしゃてこ盛の飯を平らげました。
五十二
私は旅行に出てから今日に至るまでの兄さんを、これでできるだけ委しく書いたつもりです。東京を立ったのはつい昨日のようですが、指を折るともう十日あまりになります。私の音信をあてにして待っておられるあなたや御年寄には、この十日が少し長過ぎたかも知れません。私もそれは察しています。しかしこの手紙の冒頭に御断りしたような事情のために、ここへ来て落ちつくまでは、ほとんど筆を執る余裕がなかったので、やむをえず遅れました。その代り過去十日間のうち、この手紙に洩れた兄さんは一日もありません。私は念を入れてその日その日の兄さんをことごとくこの一封のうちに書き込めました。それが私の申訳です。同時に私の誇りです。私は当初の予期以上に、私の義務を果し得たという自信のもとに、この手紙を書き終るのですから。私の費やした時間は、時計の針で仕事の分量を計算して見ない努力だから、数字としては申し上げられませんが、ずいぶんの骨折には違ありませんでした。私は生れて始めてこんな長い手紙を書きました。無論一気には書けません、一日にも書けません。ひまの見つかり次第机に向って書きかけたあとを書き続けて行ったのです。しかしそれは何でもありません。もし私の見た兄さんと、私の理解した兄さんがこの一封のうちに動いているならば、私は今より数層倍の手数と労力を費やしても厭わないつもりです。私は私の親愛するあなたの兄さんのために、この手紙を書きます。それから同じく兄さんを親愛するあなたのためにこの手紙を書きます。最後には慈愛に充ちた御年寄、あなたと兄さんの御父さんや御母さんのためにもこの手紙をかきます。私の見た兄さんはおそらくあなた方の見た兄さんと違っているでしょう。私の理解する兄さんもまたあなた方の理解する兄さんではありますまい。もしこの手紙がこの努力に価するならば、その価は全くそこにあると考えて下さい。違った角度から、同じ人を見て別様の反射を受けたところにあると思って御参考になさい。あなた方は兄さんの将来について、とくに明瞭な知識を得たいと御望みになるかも知れませんが、予言者でない私は、未来に喙を挟さむ資格を持っておりません。雲が空に薄暗く被さった時、雨になる事もありますし、また雨にならずにすむ事もあります。ただ雲が空にある間、日の目の拝まれないのは事実です。あなた方は兄さんが傍のものを不愉快にすると云って、気の毒な兄さんに多少非難の意味を持たせているようですが、自分が幸福でないものに、他を幸福にする力があるはずがありません。雲で包まれている太陽に、なぜ暖かい光を与えないかと逼るのは、逼る方が無理でしょう。私はこうしていっしょにいる間、できるだけ兄さんのためにこの雲を払おうとしています。あなた方も兄さんから暖かな光を望む前に、まず兄さんの頭を取り巻いている雲を散らしてあげたらいいでしょう。もしそれが散らせないなら、家族のあなた方には悲しい事ができるかも知れません。兄さん自身にとっても悲しい結果になるでしょう。こういう私も悲しゅうございます。私は過去十日間の兄さんを、書きました。この十日間の兄さんが、未来の十日間にどうなるかが問題で、その問題には誰も答えられないのです。よし次の十日間を私が受け合うにしたところで、次の一カ月、次の半年の兄さんを誰が受け合えましょう。私はただ過去十日間の兄さんを忠実に書いただけです。頭の鋭くない私が、読み直すひまもなくただ書き流したものだから、そのうちには定めて矛盾があるでしょう。頭の鋭い兄さんの言行にも気のつかないところに矛盾があるかも知れません。けれども私は断言します。兄さんは真面目です。けっして私をごまかそうとしてはいません。私も忠実です。あなたを欺く気は毛頭ないのです。私がこの手紙を書き始めた時、兄さんはぐうぐう寝ていました。この手紙を書き終る今もまたぐうぐう寝ています。私は偶然兄さんの寝ている時に書き出して、偶然兄さんの寝ている時に書き終る私を妙に考えます。兄さんがこの眠から永久覚めなかったらさぞ幸福だろうという気がどこかでします。同時にもしこの眠から永久覚めなかったらさぞ悲しいだろうという気もどこかでします」

