二十三
三沢は「あの女」の事を自分の予想以上に詳しく知っていた。そうして自分が病院に行くたびに、その話を第一の問題として持ち出した。彼は自分のいない間に得た「あの女」の内状を、あたかも彼と関係ある婦人の内所話でも打ち明けるごとくに語った。そうしてそれらの知識を自分に与えるのを誇りとするように見えた。彼の語るところによると「あの女」はある芸者屋の娘分として大事に取扱かわれる売子であった。虚弱な当人はまたそれを唯一の満足と心得て商売に勉強していた。ちっとやそっと身体が悪くてもけっして休むような横着はしなかった。時たま堪えられないで床に就く場合でも、早く御座敷に出たい出たいというのを口癖にしていた。……「今あの女の室に来ているのは、その芸者屋に古くからいる下女さ。名前は下女だけれど、古くからいるんで、自然権力があるから、下女らしくしちゃいない。まるで叔母さんか何ぞのようだ。あの女も下女のいう事だけは素直によく聞くので、厭がる薬を呑ませたり、わがままを云い募らせないためには必要な人間なんだ」三沢はすべてこういう内幕の出所をみんな彼の看護婦に帰して、ことごとく彼女から聞いたように説明した。けれども自分は少しそこに疑わしい点を認めないでもなかった。自分は三沢が便所へ行った留守に、看護婦を捕まえて、「三沢はああ云ってるが、僕のいないとき、あの女の室へ行って話でもするんじゃないか」と聞いて見た。看護婦は真面目な顔をして「そんな事ありゃしまへん」というような言葉で、一口に自分の疑いを否定した。彼女はそれからそういうお客が見舞に行ったところで、身上話などができるはずがないと弁解した。そうして「あの女」の病気がだんだん険悪の一方へ落ち込んで行く心細い例を話して聞かせた。「あの女」は嘔気が止まないので、上から営養の取りようがなくなって、昨日とうとう滋養浣腸を試みた。しかしその結果は思わしくなかった。少量の牛乳と鶏卵を混和した単純な液体ですら、衰弱を極めたあの女の腸には荷が重過ぎると見えて予期通り吸収されなかった。看護婦はこれだけ語って、このくらい重い病人の室へ入って、誰が悠々と身上話などを聞いていられるものかという顔をした。自分も彼女の云うところが本当だと思った。それで三沢の事は忘れて、ただ綺羅を着飾った流行の芸者と、恐ろしい病気に罹った憐な若い女とを、黙って心のうちに対照した。「あの女」は器量と芸を売る御蔭で、何とかいう芸者屋の娘分になって家のものから大事がられていた。それを売る事ができなくなった今でも、やはり今まで通り宅のものから大事がられるだろうか。もし彼らの待遇が、あの女の病気と共にだんだん軽薄に変って行くなら、毒悪な病と苦戦するあの女の心はどのくらい心細いだろう。どうせ芸妓屋の娘分になるくらいだから、生みの親は身分のあるものでないにきまっている。経済上の余裕がなければ、どう心配したって役には立つまい。自分はこんな事も考えた。便所から帰った三沢に「あの女の本当の親はあるのか知ってるか」と尋ねて見た。
二十四
「あの女」の本当の母というのを、三沢はたった一遍見た事があると語った。「それもほんの後姿だけさ」と彼はわざわざ断った。その母というのは自分の想像通、あまり楽な身分の人ではなかったらしい。やっとの思いでさっぱりした身装をして出て来るように見えた。たまに来てもさも気兼らしくこそこそと来ていつの間にか、また梯子段を下りて人に気のつかないように帰って行くのだそうである。「いくら親でも、ああなると遠慮ができるんだね」と三沢は云っていた。「あの女」の見舞客はみんな女であった。しかも若い女が多数を占めていた。それがまた普通の令嬢や細君と違って、色香を命とする綺麗な人ばかりなので、その中に交るこの母は、ただでさえ燻ぶり過ぎて地味なのである。自分は年を取った貧しそうなこの母の後姿を想像に描いて暗に憐を催した。「親子の情合からいうと、娘があんな大病に罹ったら、母たるものは朝晩ともさぞ傍についていてやりたい気がするだろうね。他人の下女が幅を利かしていて、実際の親が他人扱いにされるのは、見ていてもあまり好い心持じゃない」「いくら親でも仕方がないんだよ。だいち傍にいてやるほどの時間もなし、時間があっても入費がないんだから」自分は情ない気がした。ああ云う浮いた家業をする女の平生は羨ましいほど派出でも、いざ病気となると、普通の人よりも悲酸の程度が一層甚だしいのではないかと考えた。「旦那が付いていそうなものだがな」三沢の頭もこの点だけは注意が足りなかったと見えて、自分がこう不審を打ったとき、彼は何の答もなく黙っていた。あの女に関していっさいの新智識を供給する看護婦もそこへ行くと何の役にも立たなかった。「あの女」のか弱い身体は、その頃の暑さでもどうかこうか持ち応えていた。三沢と自分はそれをほとんど奇蹟のごとくに語り合った。そのくせ両人とも露骨を憚って、ついぞ柱の影から室の中を覗いて見た事がないので、現在の「あの女」がどのくらい窶れているかは空しい想像画に過ぎなかった。滋養浣腸さえ思わしく行かなかったという報知が、自分ら二人の耳に届いた時ですら、三沢の眼には美しく着飾った芸者の姿よりほかに映るものはなかった。自分の頭にも、ただ血色の悪くない入院前の「あの女」の顔が描かれるだけであった。それで二人共あの女はもうむずかしいだろうと話し合っていた。そうして実際は双方共死ぬとは思わなかったのである。同時にいろいろな患者が病院を出たり入ったりした。ある晩「あの女」と同じくらいな年輩の二階にいる婦人が担架で下へ運ばれて行った。聞いて見ると、今日明日にも変がありそうな危険なところを、付添の母が田舎へ連れて帰るのであった。その母は三沢の看護婦に、氷ばかりも二十何円とかつかったと云って、どうしても退院するよりほかに途がないとわが窮状を仄かしたそうである。自分は三階の窓から、田舎へ帰る釣台を見下した。釣台は暗くて見えなかったが、用意の提灯の灯はやがて動き出した。窓が高いのと往来が狭いので、灯は谷の底をひそかに動いて行くように見えた。それが向うの暗い四つ角を曲ってふっと消えた時、三沢は自分を顧みて「帰り着くまで持てば好いがな」と云った。
二十五
こんな悲酸な退院を余儀なくされる患者があるかと思うと、毎日子供を負ぶって、廊下だの物見台だの他人の室だのを、ぶらぶら廻って歩く呑気な男もあった。「まるで病院を娯楽場のように思ってるんだね」「第一どっちが病人なんだろう」自分達はおかしくもありまた不思議でもあった。看護婦に聞くと、負ぶっているのは叔父で、負ぶさっているのは甥であった。この甥が入院当時骨と皮ばかりに瘠せていたのを叔父の丹精一つでこのくらい肥ったのだそうである。叔父の商売はめりやす屋だとか云った。いずれにしても金に困らない人なのだろう。三沢の一軒おいて隣にはまた変な患者がいた。手提鞄などを提げて、普通の人間の如く平気で出歩いた。時には病院を空ける事さえあった。帰って来ると素っ裸体になって、病院の飯を旨そうに食った。そうして昨日はちょっと神戸まで行って来ましたなどと澄ましていた。岐阜からわざわざ本願寺参りに京都まで出て来たついでに、夫婦共この病院に這入ったなり動かないのもいた。その夫婦ものの室の床には後光の射した阿弥陀様の軸がかけてあった。二人差向いで気楽そうに碁を打っている事もあった。それでも細君に聞くと、この春餅を食った時、血を猪口に一杯半ほど吐いたから伴れて来たのだともったいらしく云って聞かせた。「あの女」の看護婦は依然として入口の柱に靠れて、わが膝を両手で抱いている事が多かった。こっちの看護婦はそれをまた器量を鼻へかけて、わざわざあんな人の眼に着く所へ出るのだと評していた。自分は「まさか」と云って弁護する事もあった。けれども「あの女」とその美しい看護婦との関係は、冷淡さ加減の程度において、当初もその時もあまり変りがないように見えた。自分は器量好しが二人寄って、我知らず互に嫉み合うのだろうと説明した。三沢は、そうじゃない、大阪の看護婦は気位が高いから、芸者などを眼下に見て、始めから相手にならないんだ、それが冷淡の原因に違ないと主張した。こう主張しながらも彼は別にこの看護婦を悪む様子はなかった。自分もこの女に対してさほど厭な感じはもっていなかった。醜い三沢の付添いは「本間に器量の好いものは徳やな」と云った風の、自分達には変に響く言葉を使って、二人を笑わせた。こんな周囲に取り囲まれた三沢は、身体の回復するに従って、「あの女」に対する興味を日に増し加えて行くように見えた。自分がやむをえず興味という妙な熟字をここに用いるのは、彼の態度が恋愛でもなければ、また全くの親切でもなく、興味の二字で現すよりほかに、適切な文字がちょっと見当らないからである。始めて「あの女」を控室で見たときは、自分の興味も三沢に譲らないくらい鋭かった。けれども彼から「あの女」の話を聞かされるや否や、主客の別はすでについてしまった。それからと云うもの、「あの女」の噂が出るたびに、彼はいつでも先輩の態度を取って自分に向った。自分も一時は彼に釣り込まれて、当初の興味がだんだん研ぎ澄まされて行くような気分になった。けれども客の位置に据えられた自分はそれほど長く興味の高潮を保ち得なかった。
二十六
自分の興味が強くなった頃、彼の興味は自分より一層強くなった。自分の興味がやや衰えかけると、彼の興味はますます強くなって来た。彼は元来がぶっきらぼうの男だけれども、胸の奥には人一倍優しい感情をもっていた。そうして何か事があると急に熱する癖があった。自分はすでに院内をぶらぶらするほどに回復した彼が、なぜ「あの女」の室へ入り込まないかを不審に思った。彼はけっして自分のような羞恥家ではなかった。同情の言葉をかけに、一遍会った「あの女」の病室へ見舞に行くぐらいの事は、彼の性質から見て何でもなかった。自分は「そんなにあの女が気になるなら、直に行って、会って慰めてやれば好いじゃないか」とまで云った。彼は「うん、実は行きたいのだが……」と渋っていた。実際これは彼の平生にも似合わない挨拶であった。そうしてその意味は解らなかった。解らなかったけれども、本当は彼の行かない方が、自分の希望であった。ある時自分は「あの女」の看護婦から――自分とこの美しい看護婦とはいつの間にか口を利くようになっていた。もっともそれは彼女が例の柱に倚りかかって、その前を通る自分の顔を見上げるときに、時候の挨拶を取換わすぐらいな程度に過ぎなかったけれども、――とにかくこの美しい看護婦から自分は運勢早見なんとかいう、玩具の占いの本みたようなものを借りて、三沢の室でそれをやって遊んだ。これは赤と黒と両面に塗り分けた碁石のような丸く平たいものをいくつか持って、それを眼を眠ったまま畳の上へ並べて置いて、赤がいくつ黒がいくつと後から勘定するのである。それからその数字を一つは横へ、一つは竪に繰って、両方が一点に会したところを本で引いて見ると、辻占のような文句が出る事になっていた。自分が眼を閉じて、石を一つ一つ畳の上に置いたとき、看護婦は赤がいくつ黒がいくつと云いながら占いの文句を繰ってくれた。すると、「この恋もし成就する時は、大いに恥を掻く事あるべし」とあったので、彼女は読みながら吹き出した。三沢も笑った。「おい気をつけなくっちゃいけないぜ」と云った。三沢はその前から「あの女」の看護婦に自分が御辞儀をするところが変だと云って、始終自分に調戯っていたのである。「君こそ少し気をつけるが好い」と自分は三沢に竹箆返しを喰わしてやった。すると三沢は真面目な顔をして「なぜ」と反問して来た。この場合この強情な男にこれ以上いうと、事が面倒になるから自分は黙っていた。実際自分は三沢が「あの女」の室へ出入する気色のないのを不審に思っていたが一方ではまた彼の熱しやすい性質を考えて、今まではとにかく、これから先彼がいつどう変返るかも知れないと心配した。彼はすでに下の洗面所まで行って、朝ごとに顔を洗うぐらいの気力を回復していた。「どうだもう好い加減に退院したら」自分はこう勧めて見た。そうして万一金銭上の関係で退院を躊躇するようすが見えたら、彼が自宅から取り寄せる手間と時間を省くため、自分が思い切って一つ岡田に相談して見ようとまで思った。三沢は自分の云う事には何の返事も与えなかった。かえって反対に「いったい君はいつ大阪を立つつもりだ」と聞いた。
二十七
自分は二日前に天下茶屋のお兼さんから不意の訪問を受けた。その結果としてこの間岡田が電話口で自分に話しかけた言葉の意味をようやく知った。だから自分はこの時すでに一週間内に自分を驚かして見せるといった彼の予言のために縛られていた。三沢の病気、美しい看護婦の顔、声も姿も見えない若い芸者と、その人の一時折合っている蒲団の上の狭い生活、――自分は単にそれらばかりで大阪にぐずついているのではなかった。詩人の好きな言語を借りて云えば、ある予言の実現を期待しつつ暑い宿屋に泊っていたのである。「僕にはそういう事情があるんだから、もう少しここに待っていなければならないのだ」と自分はおとなしく三沢に答えた。すると三沢は多少残念そうな顔をした。「じゃいっしょに海辺へ行って静養する訳にも行かないな」三沢は変な男であった。こっちが大事がってやる間は、向うでいつでも跳ね返すし、こっちが退こうとすると、急にまた他の袂を捕まえて放さないし、と云った風に気分の出入が著るしく眼に立った。彼と自分との交際は従来いつでもこういう消長を繰返しつつ今日に至ったのである。「海岸へいっしょに行くつもりででもあったのか」と自分は念を押して見た。「無いでもなかった」と彼は遠くの海岸を眼の中に思い浮かべるような風をして答えた。この時の彼の眼には、実際「あの女」も「あの女」の看護婦もなく、ただ自分という友達があるだけのように見えた。自分はその日快よく三沢に別れて宿へ帰った。しかし帰り路に、その快よく別れる前の不愉快さも考えた。自分は彼に病院を出ろと勧めた、彼は自分にいつまで大阪にいるのだと尋ねた。上部にあらわれた言葉のやりとりはただこれだけに過ぎなかった。しかし三沢も自分もそこに変な苦い意味を味わった。自分の「あの女」に対する興味は衰えたけれども自分はどうしても三沢と「あの女」とをそう懇意にしたくなかった。三沢もまた、あの美しい看護婦をどうする了簡もない癖に、自分だけがだんだん彼女に近づいて行くのを見て、平気でいる訳には行かなかった。そこに自分達の心づかない暗闘があった。そこに持って生れた人間のわがままと嫉妬があった。そこに調和にも衝突にも発展し得ない、中心を欠いた興味があった。要するにそこには性の争いがあったのである。そうして両方共それを露骨に云う事ができなかったのである。自分は歩きながら自分の卑怯を恥じた。同時に三沢の卑怯を悪んだ。けれどもあさましい人間である以上、これから先何年交際を重ねても、この卑怯を抜く事はとうていできないんだという自覚があった。自分はその時非常に心細くなった。かつ悲しくなった。自分はその明日病院へ行って三沢の顔を見るや否や、「もう退院は勧めない」と断った。自分は手を突いて彼の前に自分の罪を詫びる心持でこう云ったのである。すると三沢は「いや僕もそうぐずぐずしてはいられない。君の忠告に従っていよいよ出る事にした」と答えた。彼は今朝院長から退院の許可を得た旨を話して、「あまり動くと悪いそうだから寝台で東京まで直行する事にした」と告げた。自分はその突然なのに驚いた。

