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終点までの三つの停留所

終点までの三つの停留所

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駅前のロータリーは、夜になると音が薄くなる。千葉が乗った最後のバスも、エンジンの低い唸りだけを残して、静かに発車した。時計は二十三時を少し回っている。平日の終わりにしては、乗客は少なかった。前の席にひとり、中央に老婦人がひとり、そして千葉の隣には、まだ小学生くらいの女の子が座っていた。

女の子は窓に額を寄せ、外を見ている。濡れたような黒髪が、街灯の光を吸って、ぼんやり暗かった。千葉は、こんな時間にひとりで乗る子どもがいるのかと気になったが、声をかけるのもためらわれた。

バスは大通りを離れ、住宅街へ入った。街灯の間隔が広くなり、窓の外はすぐに夜そのものになる。車内には、タイヤの細い音と、誰かの衣擦れだけがあった。運転手は一度も振り向かない。アナウンスも、いつもの無機質な声のままだ。

「次は、三丁目」

その声を聞いたとき、千葉は少し違和感を覚えた。いつもなら、次の停留所名のあとに短い電子音が入るはずだ。だが今夜は、音がなかった。それだけのことなのに、胸の奥がひやりとした。

三丁目の停留所で、誰も乗らず、誰も降りなかった。バスは扉を閉じると、すぐにまた走り出す。すると老婦人が、小さく息をのみ、膝の上の買い物袋をぎゅっと握った。

「……まだ、来ないのかい」

千葉は思わずそちらを見た。老婦人は誰に言ったのでもないように、窓の外へ目を向けている。女の子は、相変わらず外を見ていたが、その唇がかすかに動いた。

「もうすぐだよ」

声は子どもらしくなく、低く、静かだった。

千葉は背筋を伸ばした。耳に入るのは、バスの揺れと、遠くで鳴る踏切の音だけ。だが、車内の空気は少しずつ冷えていく気がした。手のひらに汗をかいているのに、指先は冷たい。

次の停留所に着いたとき、バスはまた扉を開いた。外には街灯ひとつない暗がりが広がっている。停留所の標識だけが白く浮いていた。

そこに、傘を持った男が立っていた。

背広姿で、顔はよく見えない。男は乗ろうとして、一歩だけ前に出た。すると運転手が、初めて声を出した。

「その方は、乗れません」

低く、はっきりした声だった。

男はそこで止まり、じっとバスを見た。千葉には、その視線が窓を通り抜けて、自分の胸のあたりに刺さるように感じられた。次の瞬間、男の姿は、停留所の暗がりにふっと溶けた。最初から誰もいなかったように、そこだけ静かだった。

千葉は息を止めた。老婦人は目を閉じ、女の子は何もない場所を見つめたまま、つぶやいた。

「この先にいる人は、みんな、帰るところをなくしたの」

「帰るところを、なくした?」

千葉の声はかすれていた。女の子はようやく彼を見た。顔色が白く、目だけが妙に澄んでいる。

「駅でずっと待っている人。病室で名前を呼ばれている人。鍵を持っているのに、家の灯りがもう消えている人。そういう人たちを、ここは集めるの」

千葉は言葉を失った。

そのとき、ポケットの中のスマートフォンが震えた。母からの着信だ。画面には、見慣れた名前が表示されている。だが千葉は、指が動かなかった。昨夜、母から届いたメッセージを思い出したからだ。

――今日、鍵を忘れても大丈夫。帰ってきたら、開けておくから。

その文面の下に、短い追伸があった。

――でも、もし遅くなるなら、無理はしないで。

その一行を見たのが、最後だった。会社を出る前、急に胸が痛んで、千葉はベンチに座り込んだ。少し休めばよくなると思った。立ち上がったあと、何を見落としたのか、今はもう思い出せない。

バスはゆっくりと進み、終点へ近づいていく。窓の外に、見覚えのある細い坂道が現れた。自分の住む町の裏手にある、暗い歩道。夜風に揺れる自販機の灯り。確かに知っている景色だった。

「ここで降りれば、まだ間に合うよ」

女の子が言った。

千葉は立ち上がりかけて、止まった。

老婦人はすでに席を立っていた。扉が開くと、彼女は何も言わずに、暗い道へ降りていく。傘の男と同じように、姿は境目で少し揺らぎ、それから夜に吸われるように消えた。

千葉は運転手を見る。背中しか見えない。しかし、そこには不思議と怖さよりも、静かな待機のようなものがあった。

「降りますか」

運転手が初めて、千葉に直接たずねた。

千葉は、電話を握りしめたまま頷いた。

バスを降りると、空気は冷たかった。だが、恐ろしい冷たさではない。少し湿った夜の匂いがして、遠くで犬が一度だけ吠えた。

千葉は坂道を上る。途中、母からの着信はもう鳴っていなかった。代わりに、画面に一通の新しいメッセージが届いていた。

――おかえり。

家の玄関灯は、確かに点いていた。

鍵を差し込むと、扉はすぐに開いた。中から、湯気の立つ味噌汁の匂いがした。千葉はしばらく、その匂いの前で立ち尽くしていた。振り返ると、バスの走る音はもうどこにもない。

ただ、坂の下の暗がりに、白い停留所の標識だけが、薄く浮かんで見えた。

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