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門・夏目漱石

13

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十三

新年の頭を拵こしらえようという気になって、宗助そうすけは久し振に髪結床かみゆいどこの敷居を跨またいだ。暮のせいか客がだいぶ立て込んでいるので、鋏はさみの音が二三カ所で、同時にちょきちょき鳴った。この寒さを無理に乗り越して、一日も早く春に入ろうと焦慮あせるような表通の活動を、宗助は今見て来たばかりなので、その鋏の音が、いかにも忙せわしない響となって彼の鼓膜を打った。しばらく煖炉ストーブの傍はたで煙草たばこを吹かして待っている間に、宗助は自分と関係のない大きな世間の活動に否応なしに捲まき込まれて、やむを得ず年を越さなければならない人のごとくに感じた。正月を眼の前へ控えた彼は、実際これという新らしい希望もないのに、いたずらに周囲から誘われて、何だかざわざわした心持を抱いだいていたのである。御米およねの発作ほっさはようやく落ちついた。今では平日いつものごとく外へ出ても、家うちの事がそれほど気にかからないぐらいになった。余所よそに比べると閑静な春の支度も、御米から云えば、年に一度の忙がしさには違なかったので、あるいはいつも通りの準備さえ抜いて、常よりも簡単に年を越す覚悟をした宗助は、蘇生よみがえったようにはっきりした妻さいの姿を見て、恐ろしい悲劇が一歩遠退とおのいた時のごとくに、胸を撫なでおろした。しかしその悲劇がまたいついかなる形で、自分の家族を捕とらえに来るか分らないと云う、ぼんやりした掛念けねんが、折々彼の頭のなかに霧きりとなってかかった。年の暮に、事を好むとしか思われない世間の人が、故意わざと短い日を前へ押し出したがって齷齪あくせくする様子を見ると、宗助はなおの事この茫漠ぼうばくたる恐怖の念に襲おそわれた。成ろうことなら、自分だけは陰気な暗い師走しわすの中うちに一人残っていたい思さえ起った。ようやく自分の番が来て、彼は冷たい鏡のうちに、自分の影を見出した時、ふとこの影は本来何者だろうと眺ながめた。首から下は真白な布に包まれて、自分の着ている着物の色も縞しまも全く見えなかった。その時彼はまた床屋の亭主が飼っている小鳥の籠かごが、鏡の奥に映っている事に気がついた。鳥が止とまり木ぎの上をちらりちらりと動いた。頭へ香においのする油を塗られて、景気のいい声を後うしろから掛けられて、表へ出たときは、それでも清々せいせいした心持であった。御米の勧め通り髪を刈った方が、結局つまり気を新たにする効果があったのを、冷たい空気の中で、宗助は自覚した。水道税の事でちょっと聞き合せる必要が生じたので、宗助は帰り路に坂井へ寄った。下女が出て来て、こちらへと云うから、いつもの座敷へ案内するかと思うと、そこを通り越して、茶の間へ導びいていった。すると茶の間の襖ふすまが二尺ばかり開あいていて、中から三四人の笑い声が聞えた。坂井の家庭は相変らず陽気であった。主人は光沢つやの好い長火鉢ながひばちの向側に坐っていた。細君は火鉢を離れて、少し縁側えんがわの障子しょうじの方へ寄って、やはりこちらを向いていた。主人の後うしろに細長い黒い枠わくに嵌はめた柱時計がかかっていた。時計の右が壁で、左が袋戸棚ふくろとだなになっていた。その張交はりまぜに石摺いしずりだの、俳画だの、扇の骨を抜いたものなどが見えた。主人と細君のほかに、筒袖つつそでの揃そろいの模様の被布ひふを着た女の子が二人肩を擦すりつけ合って坐っていた。片方は十二三で、片方は十とおぐらいに見えた。大きな眼を揃えて、襖ふすまの陰から入って来た宗助の方を向いたが、二人の眼元にも口元にも、今笑ったばかりの影が、まだゆたかに残っていた。宗助は一応室へやの内を見回して、この親子のほかに、まだ一人妙な男が、一番入口に近い所に畏かしこまっているのを見出した。宗助は坐って五分と立たないうちに、先刻さっきの笑声は、この変な男と坂井の家族との間に取り換わされた問答から出る事を知った。男は砂埃すなほこりでざらつきそうな赤い毛と、日に焼けて生涯しょうがい褪さめっこない強い色を有もっていた。瀬戸物の釦ボタンの着いた白木綿しろもめんの襯衣シャツを着て、手織の硬こわい布子ぬのこの襟えりから財布の紐ひもみたような長い丸打まるうちをかけた様子は、滅多めったに東京などへ出る機会のない遠い山の国のものとしか受け取れなかった。その上男はこの寒いのに膝小僧ひざこぞうを少し出して、紺こんの落ちた小倉こくらの帯の尻に差した手拭てぬぐいを抜いては鼻の下を擦こすった。「これは甲斐かいの国から反物たんものを背負しょってわざわざ東京まで出て来る男なんです」と坂井の主人が紹介すると、男は宗助の方を向いて、「どうか旦那、一つ買っておくれ」と挨拶あいさつをした。なるほど銘仙めいせんだの御召おめしだの、白紬しろつむぎだのがそこら一面に取り散らしてあった。宗助はこの男の形装なりや言葉遣ことばづかいのおかしい割に、立派な品物を背中へ乗せて歩行あるくのをむしろ不思議に思った。主人の細君の説明によると、この織屋の住んでいる村は焼石ばかりで、米も粟あわも収とれないから、やむを得ず桑くわを植えて蚕かいこを飼うんだそうであるが、よほど貧しい所と見えて、柱時計を持っている家が一軒だけで、高等小学へ通う小供が三人しかないという話であった。「字の書けるものは、この人ぎりなんだそうですよ」と云って細君は笑った。すると織屋も、「本当のこんだよ、奥さん。読み書き算筆さんぴつのできるものは、おれよりほかにねえんだからね。全く非道ひどい所にゃ違ない」と真面目に細君の云う事を首肯うけがった。織屋はいろいろの反物を主人や細君の前へ突きつけては、「買っておくれ」という言葉をしきりに繰り返した。そりゃ高いよいくらいくらに御負けなどと云われると、「値じゃねえね」とか、「拝むからそれで買っておくれ」とか、「まあ目方を見ておくれ」とかすべて異様な田舎いなかびた答をした。そのたびに皆みんなが笑った。主人夫婦はまた閑ひまだと見えて、面白半分にいつまでも織屋を相手にした。「織屋、御前そうして荷を背負しょって、外へ出て、時分どきになったら、やっぱり御膳ごぜんを食べるんだろうね」と細君が聞いた。「飯を食わねえでいられるもんじゃないよ。腹の減る事ちゅうたら」「どんな所で食べるの」「どんな所で食べるちゅうて、やっぱり茶屋で食うだね」主人は笑いながら茶屋とは何だと聞いた。織屋は、飯を食わす所が茶屋だと答えた。それから東京へ出立でたてには飯が非常に旨うまいので、腹を据すえて食い出すと、大抵の宿屋は叶かなわない、三度三度食っちゃ気の毒だと云うような事を話して、また皆みんなを笑わした。織屋はしまいに撚糸よりいとの紬つむぎと、白絽しろろを一匹いっぴき細君に売りつけた。宗助はこの押しつまった暮に、夏の絽を買う人を見て余裕よゆうのあるものはまた格別だと感じた。すると、主人が宗助に向って、「どうですあなたも、ついでに何か一つ。奥さんの不断着でも」と勧めた。細君もこう云う機会に買って置くと、幾割か値安に買える便宜べんぎを説いた。そうして、「なに、御払おはらいはいつでもいいんです」と受合ってくれた。宗助はとうとう御米のために銘仙めいせんを一反買う事にした。主人はそれをさんざん値切って三円に負けさした。織屋は負けた後あとでまた、「全く値じゃねえね。泣きたくなるね」と云ったので、大勢がまた一度に笑った。織屋はどこへ行ってもこういう鄙ひなびた言葉を使って通しているらしかった。毎日馴染なじみの家をぐるぐる回まわって歩いているうちには、背中の荷がだんだん軽かろくなって、しまいに紺こんの風呂敷ふろしきと真田紐さなだひもだけが残る。その時分にはちょうど旧の正月が来るので、ひとまず国元へ帰って、古い春を山の中で越して、それからまた新らしい反物を背負えるだけ背負って出て来るのだと云った。そうして養蚕ようさんの忙せわしい四月の末か五月の初までに、それを悉皆すっかり金に換えて、また富士の北影の焼石ばかりころがっている小村へ帰って行くのだそうである。「宅うちへ来出してから、もう四五年になりますが、いつ見ても同じ事で、少しも変らないんですよ」と細君が注意した。「実際珍らしい男です」と主人も評語を添えた。三日も外へ出ないと、町幅がいつの間にか取り広げられていたり、一日新聞を読まないと、電車の開通を知らずに過したりする今の世に、年に二度も東京へ出ながら、こう山男の特色をどこまでも維持して行くのは、実際珍らしいに違なかった。宗助はつくづくこの織屋の容貌ようぼうやら態度やら服装やら言葉使やらを観察して、一種気の毒な思をなした。彼は坂井を辞して、家うちへ帰る途中にも、折々インヴァネスの羽根の下に抱えて来た銘仙の包つつみを持ち易かえながら、それを三円という安い価ねで売った男の、粗末な布子ぬのこの縞しまと、赤くてばさばさした髪の毛と、その油気あぶらけのない硬こわい髪の毛が、どういう訳か、頭の真中で立派に左右に分けられている様を、絶えず眼の前に浮べた。宅では御米が、宗助に着せる春の羽織をようやく縫い上げて、圧おしの代りに坐蒲団ざぶとんの下へ入れて、自分でその上へ坐っているところであった。「あなた今夜敷いて寝て下さい」と云って、御米は宗助を顧かえりみた。夫から、坂井へ来ていた甲斐かいの男の話を聞いた時は、御米もさすがに大きな声を出して笑った。そうして宗助の持って帰った銘仙めいせんの縞柄しまがらと地合じあいを飽あかず眺ながめては、安い安いと云った。銘仙は全く品しなの良いいものであった。「どうして、そう安く売って割に合うんでしょう」としまいに聞き出した。「なに中へ立つ呉服屋が儲もうけ過ぎてるのさ」と宗助はその道に明るいような事を、この一反の銘仙から推断して答えた。夫婦の話はそれから、坂井の生活に余裕のある事と、その余裕のために、横町の道具屋などに意外な儲もうけ方かたをされる代りに、時とするとこう云う織屋などから、差し向き不用のものを廉価れんかに買っておく便宜べんぎを有している事などに移って、しまいにその家庭のいかにも陽気で、賑にぎやかな模様に落ちて行った。宗助はその時突然語調を更かえて、「なに金があるばかりじゃない。一つは子供が多いからさ。子供さえあれば、大抵貧乏な家うちでも陽気になるものだ」と御米を覚さとした。その云い方が、自分達の淋さみしい生涯しょうがいを、多少自みずから窘たしなめるような苦にがい調子を、御米の耳に伝えたので、御米は覚えず膝ひざの上の反物から手を放して夫の顔を見た。宗助は坂井から取って来た品が、御米の嗜好しこうに合ったので、久しぶりに細君を喜ばせてやった自覚があるばかりだったから、別段そこには気がつかなかった。御米もちょっと宗助の顔を見たなりその時は何にも云わなかった。けれども夜よに入いって寝る時間が来るまで御米はそれをわざと延ばしておいたのである。二人はいつもの通り十時過床に入ったが、夫の眼がまだ覚さめている頃を見計らって、御米は宗助の方を向いて話しかけた。「あなた先刻さっき小供がないと淋さむしくっていけないとおっしゃってね」宗助はこれに類似の事を普般的に云った覚おぼえはたしかにあった。けれどもそれは強あながちに、自分達の身の上について、特に御米の注意を惹ひくために口にした、故意の観察でないのだから、こう改たまって聞き糺ただされると、困るよりほかはなかった。「何も宅うちの事を云ったのじゃないよ」この返事を受けた御米は、しばらく黙っていた。やがて、「でも宅の事を始終淋しい淋しいと思っていらっしゃるから、必竟つまりあんな事をおっしゃるんでしょう」と前とほぼ似たような問を繰り返した。宗助は固もとよりそうだと答えなければならない或物を頭の中に有もっていた。けれども御米を憚はばかって、それほど明白地あからさまな自白をあえてし得なかった。この病気上りの細君の心を休めるためには、かえってそれを冗談じょうだんにして笑ってしまう方が善よかろうと考えたので、「淋しいと云えば、そりゃ淋しくないでもないがね」と調子を易かえてなるべく陽気に出たが、そこで詰まったぎり、新らしい文句も、面白い言葉も容易に思いつけなかった。やむを得ず、「まあいいや。心配するな」と云った。御米はまた何とも答えなかった。宗助は話題を変えようと思って、「昨夕ゆうべも火事があったね」と世間話をし出した。すると御米は急に、「私は実にあなたに御気の毒で」と切なそうに言訳を半分して、またそれなり黙ってしまった。洋灯ランプはいつものように床の間の上に据すえてあった。御米は灯ひに背そむいていたから、宗助には顔の表情が判然はっきり分らなかったけれども、その声は多少涙でうるんでいるように思われた。今まで仰向あおむいて天井を見ていた彼は、すぐ妻の方へ向き直った。そうして薄暗い影になった御米の顔をじっと眺ながめた。御米も暗い中からじっと宗助を見ていた。そうして、「疾とうからあなたに打ち明けて謝罪あやまろう謝罪まろうと思っていたんですが、つい言い悪にくかったもんだから、それなりにしておいたのです」と途切れ途切れに云った。宗助には何の意味かまるで解らなかった。多少はヒステリーのせいかとも思ったが、全然そうとも決しかねて、しばらく茫然ぼんやりしていた。すると御米が思い詰めた調子で、「私にはとても子供のできる見込はないのよ」と云い切って泣き出した。宗助はこの可憐な自白をどう慰さめていいか分別に余って当惑していたうちにも、御米に対してはなはだ気の毒だという思が非常に高まった。「子供なんざ、無くてもいいじゃないか。上の坂井さんみたようにたくさん生れて御覧、傍はたから見ていても気の毒だよ。まるで幼稚園のようで」「だって一人もできないときまっちまったら、あなただって好よかないでしょう」「まだできないときまりゃしないじゃないか。これから生れるかも知れないやね」御米はなおと泣き出した。宗助も途方とほうに暮れて、発作の治まるのを穏やかに待っていた。そうして、緩ゆっくり御米の説明を聞いた。夫婦は和合同棲どうせいという点において、人並以上に成功したと同時に、子供にかけては、一般の隣人よりも不幸であった。それも始から宿る種がなかったのなら、まだしもだが、育つべきものを中途で取り落したのだから、さらに不幸の感が深かった。始めて身重みおもになったのは、二人が京都を去って、広島に瘠世帯やせじょたいを張っている時であった。懐妊かいにんと事がきまったとき、御米はこの新らしい経験に対して、恐ろしい未来と、嬉うれしい未来を一度に夢に見るような心持を抱いだいて日を過ごした。宗助はそれを眼に見えない愛の精に、一種の確証となるべき形を与えた事実と、ひとり解釈して少なからず喜んだ。そうして自分の命を吹き込んだ肉の塊かたまりが、目の前に踊る時節を指を折って楽しみに待った。ところが胎児は、夫婦の予期に反して、五カ月まで育って突然下おりてしまった。その時分の夫婦の活計くらしは苦しい苛つらい月ばかり続いていた。宗助は流産した御米の蒼あおい顔を眺めて、これも必竟つまりは世帯の苦労から起るんだと判じた。そうして愛情の結果が、貧のために打ち崩くずされて、永く手の裡うちに捕える事のできなくなったのを残念がった。御米はひたすら泣いた。福岡へ移ってから間もなく、御米はまた酸すいものを嗜たしむ人となった。一度流産すると癖になると聞いたので、御米は万よろずに注意して、つつましやかに振舞っていた。そのせいか経過は至極しごく順当に行ったが、どうした訳か、これという原因もないのに、月足らずで生れてしまった。産婆は首を傾けて、一度医者に見せるように勧めた。医者に診みて貰うと、発育が充分でないから、室内の温度を一定の高さにして、昼夜とも変らないくらい、人工的に暖めなければいけないと云った。宗助の手際てぎわでは、室内に煖炉だんろを据えつける設備をするだけでも容易ではなかった。夫婦はわが時間と算段の許す限りを尽して、専念に赤児の命を護まもった。けれどもすべては徒労に帰した。一週間の後、二人の血を分けた情なさけの塊かたまりはついに冷たくなった。御米は幼児の亡骸なきがらを抱だいて、「どうしましょう」と啜すすり泣いた。宗助は再度の打撃を男らしく受けた。冷たい肉が灰になって、その灰がまた黒い土に和かするまで、一口も愚痴ぐちらしい言葉は出さなかった。そのうちいつとなく、二人の間に挟はさまっていた影のようなものが、しだいに遠退とおのいて、ほどなく消えてしまった。すると三度目の記憶が来た。宗助が東京に移って始ての年に、御米はまた懐妊したのである。出京の当座は、だいぶん身体からだが衰ろえていたので、御米はもちろん、宗助もひどくそこを気遣きづかったが、今度こそはという腹は両方にあったので、張のある月を無事にだんだんと重ねて行った。ところがちょうど五月目いつつきめになって、御米はまた意外の失敗しくじりをやった。その頃はまだ水道も引いてなかったから、朝晩下女が井戸端へ出て水を汲んだり、洗濯をしなければならなかった。御米はある日裏にいる下女に云いつける用ができたので、井戸流いどながしの傍そばに置いた盥たらいの傍まで行って話をしたついでに、流ながしを向むこうへ渡ろうとして、青い苔こけの生えている濡ぬれた板の上へ尻持しりもちを突いた。御米はまたやり損そくなったとは思ったが、自分の粗忽そこつを面目ながって、宗助にはわざと何事も語らずにその場を通した。けれどもこの震動が、いつまで経っても胎児の発育にこれという影響も及ぼさず、したがって自分の身体からだにも少しの異状を引き起さなかった事がたしかに分った時、御米はようやく安心して、過去の失しつを改めて宗助の前に告げた。宗助は固もとより妻を咎とがめる意もなかった。ただ、「よく気をつけないと危ないよ」と穏やかに注意を加えて過ぎた。とかくするうちに月が満ちた。いよいよ生れるという間際まぎわまで日が詰ったとき、宗助は役所へ出ながらも、御米の事がしきりに気にかかった。帰りにはいつも、今日はことによると留守のうちになどと案じ続けては、自分の家の格子こうしの前に立った。そうして半ば予期している赤児の泣声が聞えないと、かえって何かの変でも起ったらしく感じて、急いで宅うちへ飛び込んで、自分と自分の粗忽を恥ずる事があった。幸さいわいに御米の産気さんけづいたのは、宗助の外に用のない夜中だったので、傍にいて世話のできると云う点から見ればはなはだ都合が好かった。産婆も緩ゆっくり間に合うし、脱脂綿その他の準備もことごとく不足なく取り揃そろえてあった。産も案外軽かった。けれども肝心かんじんの小児こどもは、ただ子宮を逃のがれて広い所へ出たというまでで、浮世の空気を一口も呼吸しなかった。産婆は細い硝子ガラスの管のようなものを取って、小ちさい口の内なかへ強い呼息いきをしきりに吹き込んだが、効目ききめはまるでなかった。生れたものは肉だけであった。夫婦はこの肉に刻みつけられた、眼と鼻と口とを髣髴ほうふつした。しかしその咽喉のどから出る声はついに聞く事ができなかった。産婆は出産のあったつい一週間前に来て、丁寧ていねいに胎児の心臓まで聴診して、至極しごく御健全だと保証して行ったのである。よし産婆の云う事に間違があって、腹の児この発育が今までのうちにどこかで止っていたにしたところで、それが直すぐ取り出されない以上、母体は今日こんにちまで平気に持ち応こたえる訳がなかった。そこをだんだん調べて見て、宗助は自分がいまだかつて聞いた事のない事実を発見した時に、思わず恐れ驚ろいた。胎児は出る間際まで健康であったのである。けれども臍帯纏絡さいたいてんらくと云って、俗に云う胞えなを頸くびへ捲まきつけていた。こう云う異常の場合には、固もとより産婆の腕で切り抜けるよりほかにしようのないもので、経験のある婆さんなら、取り上げる時に、旨うまく頸に掛かった胞を外はずして引き出すはずであった。宗助の頼んだ産婆もかなり年を取っているだけに、このくらいのことは心得ていた。しかし胎児の頸を絡からんでいた臍帯は、時たまあるごとく一重ひとえではなかった。二重ふたえに細い咽喉のどを巻いている胞を、あの細い所を通す時に外し損そくなったので、小児こどもはぐっと気管を絞しめられて窒息してしまったのである。罪は産婆にもあった。けれどもなかば以上は御米の落度おちどに違なかった。臍帯纏絡の変状は、御米が井戸端で滑って痛く尻餅しりもちを搗ついた五カ月前すでに自みずから醸かもしたものと知れた。御米は産後の蓐中じょくちゅうにその始末を聞いて、ただ軽く首肯うなずいたぎり何にも云わなかった。そうして、疲労に少し落ち込んだ眼を霑うるませて、長い睫毛まつげをしきりに動かした。宗助は慰さめながら、手帛ハンケチで頬に流れる涙を拭ふいてやった。これが子供に関する夫婦の過去であった。この苦にがい経験を甞なめた彼らは、それ以後幼児について余り多くを語るを好まなかった。けれども二人の生活の裏側は、この記憶のために淋さむしく染めつけられて、容易に剥はげそうには見えなかった。時としては、彼我ひがの笑声を通してさえ、御互の胸に、この裏側が薄暗く映る事もあった。こういう訳だから、過去の歴史を今夫に向って新たに繰り返そうとは、御米も思い寄らなかったのである。宗助も今更妻からそれを聞かせられる必要は少しも認めていなかったのである。御米の夫に打ち明けると云ったのは、固より二人の共有していた事実についてではなかった。彼女は三度目の胎児を失った時、夫からその折の模様を聞いて、いかにも自分が残酷な母であるかのごとく感じた。自分が手を下くだした覚がないにせよ、考えようによっては、自分と生を与えたものの生を奪うために、暗闇くらやみと明海あかるみの途中に待ち受けて、これを絞殺こうさつしたと同じ事であったからである。こう解釈した時、御米は恐ろしい罪を犯した悪人と己おのれを見傚みなさない訳に行かなかった。そうして思わざる徳義上の苛責かしゃくを人知れず受けた。しかもその苛責を分って、共に苦しんでくれるものは世界中に一人もなかった。御米は夫にさえこの苦しみを語らなかったのである。彼女はその時普通の産婦のように、三週間を床の中で暮らした。それは身体からだから云うと極きわめて安静の三週間に違なかった。同時に心から云うと、恐るべき忍耐の三週間であった。宗助は亡児のために、小さい柩ひつぎを拵こしらえて、人の眼に立たない葬儀を営なんだ。しかる後、また死んだもののために小さな位牌いはいを作った。位牌には黒い漆うるしで戒名かいみょうが書いてあった。位牌の主ぬしは戒名を持っていた。けれども俗名ぞくみょうは両親ふたおやといえども知らなかった。宗助は最初それを茶の間の箪笥たんすの上へ載のせて、役所から帰ると絶えず線香を焚たいた。その香においが六畳に寝ている御米の鼻に時々通かよった。彼女の官能は当時それほどに鋭どくなっていたのである。しばらくしてから、宗助は何を考えたか、小さい位牌いはいを箪笥たんすの抽出ひきだしの底へしまってしまった。そこには福岡で亡くなった小供の位牌と、東京で死んだ父の位牌が別々に綿で包くるんで丁寧ていねいに入れてあった。東京の家を畳むとき宗助は先祖の位牌を一つ残らず携たずさえて、諸所を漂泊ひょうはくするの煩わずらわしさに堪たえなかったので、新らしい父の分だけを鞄かばんの中に収めて、その他はことごとく寺へ預けておいたのである。御米は宗助のするすべてを寝ながら見たり聞いたりしていた。そうして布団ふとんの上に仰向あおむけになったまま、この二つの小ちさい位牌を、眼に見えない因果いんがの糸を長く引いて互に結びつけた。それからその糸をなお遠く延ばして、これは位牌にもならずに流れてしまった、始めから形のない、ぼんやりした影のような死児の上に投げかけた。御米は広島と福岡と東京に残る一つずつの記憶の底に、動かしがたい運命の厳おごそかな支配を認めて、その厳かな支配の下もとに立つ、幾月日いくつきひの自分を、不思議にも同じ不幸を繰り返すべく作られた母であると観じた時、時ならぬ呪詛のろいの声を耳の傍はたに聞いた。彼女が三週間の安静を、蒲団ふとんの上に貪むさぼらなければならないように、生理的に強しいられている間、彼女の鼓膜はこの呪詛の声でほとんど絶えず鳴っていた。三週間の安臥は、御米に取って実に比類のない忍耐の三週間であった。御米はこの苦しい半月余りを、枕の上でじっと見つめながら過ごした。しまいには我慢して横になっているのが、いかにも苛つらかったので、看護婦の帰った明あくる日に、こっそり起きてぶらぶらして見たが、それでも心に逼せまる不安は、容易に紛まぎらせなかった。退儀たいぎな身体からだを無理に動かす割に、頭の中は少しも動いてくれないので、また落胆がっかりして、ついには取り放しの夜具の下へ潜もぐり込んで、人の世を遠ざけるように、眼を堅く閉つぶってしまう事もあった。そのうち定期の三週間も過ぎて、御米の身体は自おのずからすっきりなった。御米は奇麗きれいに床を払って、新らしい気のする眉まゆを再び鏡に照らした。それは更衣ころもがえの時節であった。御米も久しぶりに綿の入いった重いものを脱ぬぎ棄すてて、肌に垢あかの触れない軽い気持を爽さわやかに感じた。春と夏の境をぱっと飾る陽気な日本の風物は、淋さむしい御米の頭にも幾分かの反響を与えた。けれども、それはただ沈んだものを掻かき立てて、賑にぎやかな光りのうちに浮かしたまでであった。御米の暗い過去の中にその時一種の好奇心が萌きざしたのである。天気の勝すぐれて美くしいある日の午前、御米はいつもの通り宗助を送り出してから直じきに、表へ出た。もう女は日傘ひがさを差して外を行くべき時節であった。急いで日向ひなたを歩くと額の辺あたりが少し汗ばんだ。御米は歩き歩き、着物を着換える時、箪笥を開けたら、思わず一番目の抽出の底にしまってあった、新らしい位牌に手が触れた事を思いつづけて、とうとうある易者えきしゃの門を潜くぐった。彼女は多数の文明人に共通な迷信を子供の時から持っていた。けれども平生はその迷信がまた多数の文明人と同じように、遊戯的に外に現われるだけで済んでいた。それが実生活の厳かな部分を冒おかすようになったのは、全く珍らしいと云わなければならなかった。御米はその時真面目まじめな態度と真面目な心を有もって、易者の前に坐って、自分が将来子を生むべき、また子を育てるべき運命を天から与えられるだろうかを確めた。易者は大道に店を出して、往来の人の身の上を一二銭で占うらなう人と、少しも違った様子もなく、算木さんぎをいろいろに並べて見たり、筮竹ぜいちくを揉もんだり数えたりした後で、仔細しさいらしく腮あごの下の髯ひげを握って何か考えたが、終りに御米の顔をつくづく眺ながめた末、「あなたには子供はできません」と落ちつき払って宣告した。御米は無言のまま、しばらく易者の言葉を頭の中で噛かんだり砕くだいたりした。それから顔を上げて、「なぜでしょう」と聞き返した。その時御米は易者が返事をする前に、また考えるだろうと思った。ところが彼はまともに御米の眼の間を見詰めたまま、すぐ、「あなたは人に対してすまない事をした覚おぼえがある。その罪が祟たたっているから、子供はけっして育たない」と云い切った。御米はこの一言いちげんに心臓を射抜かれる思があった。くしゃりと首を折ったなり家うちへ帰って、その夜は夫の顔さえろくろく見上げなかった。御米の宗助に打ち明けないで、今まで過したというのは、この易者の判断であった。宗助は床の間に乗せた細い洋灯ランプの灯ひが、夜の中に沈んで行きそうな静かな晩に、始めて御米の口からその話を聞いたとき、さすがに好い気味はしなかった。「神経の起った時、わざわざそんな馬鹿な所へ出かけるからさ。銭ぜにを出して下らない事を云われてつまらないじゃないか。その後もその占うらないの宅うちへ行くのかい」「恐ろしいから、もうけっして行かないわ」「行かないがいい。馬鹿気ている」宗助はわざと鷹揚おうような答をしてまた寝てしまった。

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