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侏儒の言葉・芥川龍之介

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奴隷

奴隷廃止と云うことは唯奴隷たる自意識を廃止すると云うことである。我我の社会は奴隷なしには一日も安全を保し難いらしい。現にあのプラトオンの共和国さえ、奴隷の存在を予想しているのは必ずしも偶然ではないのである。

暴君を暴君と呼ぶことは危険だったのに違いない。が、今日は暴君以外に奴隷を奴隷と呼ぶこともやはり甚だ危険である。

悲劇

悲劇とはみずからずる所業をあえてしなければならぬことである。この故に万人に共通する悲劇は排泄はいせつ作用を行うことである。

強弱

強者とは敵を恐れぬ代りに友人を恐れるものである。一撃に敵を打ち倒すことには何の痛痒つうようも感じない代りに、らずらず友人を傷つけることには児女に似た恐怖を感ずるものである。弱者とは友人を恐れぬ代りに、敵を恐れるものである。この故に又至る処に架空の敵ばかり発見するものである。

S・Mの智慧

これは友人S・Mのわたしに話した言葉である。弁証法の功績。――所詮しょせん何ものも莫迦ばかげていると云う結論に到達せしめたこと。少女。――どこまで行っても清冽せいれつな浅瀬。早教育。――ふむ、それも結構だ。まだ幼稚園にいるうちに智慧の悲しみを知ることには責任を持つことにも当らないからね。追憶。――地平線の遠い風景画。ちゃんと仕上げもかかっている。女。――メリイ・ストオプス夫人によれば女は少くとも二週間に一度、夫に情欲を感ずるほど貞節に出来ているものらしい。年少時代。――年少時代の憂欝ゆううつは全宇宙に対する驕慢きょうまんである。艱難なんじを玉にす。――艱難汝を玉にするとすれば、日常生活に、思慮深い男は到底玉になれない筈である。我等如何に生くべき――未知の世界を少し残して置くこと。

社交

あらゆる社交はおのずから虚偽を必要とするものである。もし寸毫の虚偽をも加えず、我我の友人知己に対する我我の本心を吐露するとすれば、いにしえの管鮑かんぽうの交りといえど破綻はたんを生ぜずにはいなかったであろう。管鮑の交りは少時問わず、我我は皆多少にもせよ、我我の親密なる友人知己を憎悪し或は軽蔑けいべつしている。が、憎悪も利害の前には鋭鋒えいほうを収めるのに相違ない。かつ又軽蔑は多々益々恬然てんぜんと虚偽を吐かせるものである。この故に我我の友人知己と最も親密に交る為めには、互に利害と軽蔑とを最も完全にそなえなければならぬ。これは勿論もちろん何びとにも甚だ困難なる条件である。さもなければ我我はとうの昔に礼譲に富んだ紳士になり、世界も亦とうの昔に黄金時代の平和を現出したであろう。

瑣事

人生を幸福にする為には、日常の瑣事さじを愛さなければならぬ。雲の光り、竹のそよぎ、群雀むらすずめの声、行人の顔、――あらゆる日常の瑣事の中に無上の甘露味を感じなければならぬ。人生を幸福にする為には?――しかし瑣事を愛するものは瑣事の為に苦しまなければならぬ。庭前の古池に飛びこんだ蛙は百年の愁を破ったであろう。が、古池を飛び出した蛙は百年の愁を与えたかも知れない。いや、芭蕉の一生は享楽の一生であると共に、誰の目にも受苦の一生である。我我も微妙に楽しむ為には、やはり又微妙に苦しまなければならぬ。人生を幸福にする為には、日常の瑣事さじに苦しまなければならぬ。雲の光り、竹のそよぎ、群雀むらすずめの声、行人の顔、――あらゆる日常の瑣事の中に堕地獄の苦痛を感じなければならぬ。

あらゆる神の属性中、最も神の為に同情するのは神には自殺の出来ないことである。

我我は神を罵殺する無数の理由を発見している。が、不幸にも日本人は罵殺するのに価いするほど、全能の神を信じていない。

民衆

民衆は穏健なる保守主義者である。制度、思想、芸術、宗教、――何ものも民衆に愛される為には、前時代の古色を帯びなければならぬ。所謂いわゆる民衆芸術家の民衆の為に愛されないのは必ずしも彼等の罪ばかりではない。

民衆の愚を発見するのは必ずしも誇るに足ることではない。が、我我自身も亦民衆であることを発見するのはかくも誇るに足ることである。

古人は民衆を愚にすることを治国の大道に数えていた。丁度まだこの上にも愚にすることの出来るように。――或は又どうかすれば賢にでもすることの出来るように。

チエホフの言葉

チエホフはその手記の中に男女の差別を論じている。――「女は年をとると共に、益々女の事に従うものであり、男は年をとると共に、益々女の事から離れるものである。」しかしこのチエホフの言葉は男女とも年をとると共に、おのずから異性との交渉に立ち入らないと云うのも同じことである。これは三歳の童児といえどもとうに知っていることと云わなければならぬ。のみならず男女の差別よりもむしろ男女の無差別を示しているものと云わなければならぬ。

服装

少くとも女人の服装は女人自身の一部である。啓吉の誘惑に陥らなかったのは勿論もちろん道念にもったのであろう。が、彼を誘惑した女人は啓吉の妻の借着をしている。もし借着をしていなかったとすれば、啓吉もさほど楽々とは誘惑の外に出られなかったかも知れない。註 菊池寛氏の「啓吉の誘惑」を見よ。

処女崇拝

我我は処女を妻とする為にどの位妻の選択に滑稽こっけいなる失敗を重ねて来たか、もうそろそろ処女崇拝には背中を向けても好い時分である。

処女崇拝は処女たる事実を知った後に始まるものである。即ち卒直なる感情よりも零細なる知識を重んずるものである。この故に処女崇拝者は恋愛上の衒学者げんがくしゃと云わなければならぬ。あらゆる処女崇拝者の何か厳然と構えているのも或は偶然ではないかも知れない。

勿論処女らしさ崇拝は処女崇拝以外のものである。この二つを同義語とするものは恐らく女人の俳優的才能を余りに軽々に見ているものであろう。

礼法

或女学生はわたしの友人にこう云う事を尋ねたそうである。「一体接吻せっぷんをする時には目をつぶっているものなのでしょうか?それともあいているものなのでしょうか?」あらゆる女学校の教課の中に恋愛に関する礼法のないのはわたしもこの女学生と共に甚だ遺憾に思っている。

貝原益軒

わたしはやはり小学時代に貝原益軒かいばらえきけんの逸事を学んだ。益軒はかつて乗合船の中に一人の書生と一しょになった。書生は才力に誇っていたと見え、滔々とうとうと古今の学芸を論じた。が、益軒は一言も加えず、静かに傾聴するばかりだった。その内に船は岸に泊した。船中の客は別れるのに臨んで姓名を告げるのを例としていた。書生は始めて益軒を知り、この一代の大儒の前に忸怩じくじとして先刻の無礼を謝した。――こう云う逸事を学んだのである。当時のわたしはこの逸事の中に謙譲の美徳を発見した。少くとも発見する為に努力したことは事実である。しかし今は不幸にも寸毫すんごうの教訓さえ発見出来ない。この逸事の今のわたしにも多少の興味を与えるはわずかに下のように考えるからである。――一 無言に終始した益軒の侮蔑ぶべつは如何に辛辣しんらつを極めていたか!二 書生の恥じるのをよろこんだ同船の客の喝采かっさいは如何に俗悪を極めていたか!三 益軒の知らぬ新時代の精神は年少の書生の放論の中にも如何に溌溂はつらつと鼓動していたか!

或弁護

或新時代の評論家は「蝟集いしゅうする」と云う意味に「門前雀羅じゃくらを張る」の成語を用いた。「門前雀羅を張る」の成語は支那人の作ったものである。それを日本人の用うるのに必ずしも支那人の用法を踏襲しなければならぬと云う法はない。もし通用さえするならば、たとえば、「彼女の頬笑ほほえみは門前雀羅を張るようだった」と形容しても好いはずである。もし通用さえするならば、――万事はこの不可思議なる「通用」の上に懸っている。たとえば「わたくし小説」もそうではないか?Ich-Roman と云う意味は一人称を用いた小説である。必ずしもその「わたくし」なるものは作家自身と定まってはいない。が、日本の「わたくし」小説は常にその「わたくし」なるものを作家自身とする小説である。いや、時には作家自身の閲歴談と見られたが最後、三人称を用いた小説さえ「わたくし」小説と呼ばれているらしい。これは勿論独逸人ドイツじんの――或は全西洋人の用法を無視した新例である。しかし全能なる「通用」はこの新例に生命を与えた。「門前雀羅を張る」の成語もいつかはこれと同じように意外の新例を生ずるかも知れない。すると或評論家は特に学識に乏しかったのではない。ただいささか時流の外に新例を求むるのに急だったのである。その評論家の揶揄やゆを受けたのは、――兎に角あらゆる先覚者は常に薄命に甘んじなければならぬ。

制限

天才もそれぞれ乗り越え難い或制限に拘束されている。その制限を発見することは多少の寂しさを与えぬこともない。が、それはいつの間にかかえって親しみを与えるものである。丁度竹は竹であり、つたは蔦である事を知ったように。

火星

火星の住民の有無を問うことは我我の五感に感ずることの出来る住民の有無を問うことである。しかし生命は必ずしも我我の五感に感ずることの出来る条件をそなえるとは限っていない。もし火星の住民も我我の五感を超越した存在を保っているとすれば、彼等の一群は今夜も亦篠懸すずかけを黄ばませる秋風と共に銀座へ来ているかも知れないのである。

Blanqui の夢

宇宙の大は無限である。が、宇宙を造るものは六十幾つかの元素である。是等これらの元素の結合は如何に多数を極めたとしても、畢竟ひっきょう有限を脱することは出来ない。すると是等の元素から無限大の宇宙を造る為には、あらゆる結合を試みる外にも、その又あらゆる結合を無限に反覆して行かなければならぬ。して見れば我我の棲息せいそくする地球も、――是等の結合の一つたる地球も太陽系中の一惑星に限らず、無限に存在しているはずである。この地球上のナポレオンはマレンゴオの戦に大勝を博した。が、茫々ぼうぼうたる大虚に浮んだ他の地球上のナポレオンは同じマレンゴオの戦に大敗をこうむっているかも知れない。……これは六十七歳のブランキの夢みた宇宙観である。議論の是非は問う所ではない。ただブランキは牢獄ろうごくの中にこう云う夢をペンにした時、あらゆる革命に絶望していた。このことだけは今日もなお何か我我の心の底へみ渡る寂しさを蓄えている。夢は既に地上から去った。我我も慰めを求める為には何万億マイルの天上へ、――宇宙の夜に懸った第二の地球へ輝かしい夢を移さなければならぬ。

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