四つのなぞな﹅ぞ﹅
世田谷の洋館でインド人が消えうせた翌々日、探偵事件のために東北地方へ出張していた明智名探偵は、しゅびよく事件を解決して東京の事務所へ帰ってきました。帰るとすぐ、探偵は旅のつかれを休めようともしないで、書斎に助手の小林少年を呼んで、るす中の報告を聞くのでした。小林君は、もうすっかり元気を回復していました。聞けば、緑ちゃんも翌日から熱もとれて、おとうさまおかあさまのそばで、きげんよく遊んでいるということです。小林君は明智先生の顔を見ると、待ちかねていたように、怪インド人事件のことを、くわしく報告しました。「先生、ぼくには何がなんだかさっぱりわからないのです。でも、みんなのいうように、あのインド人が魔法を使ったなんて信じられません。何かしら、ぼくたちの知恵では、およばないような秘密があるのじゃないでしょうか。先生、教えてください。ぼくは早く先生のお考えが聞きたくてウズウズしていたんですよ。」小林君は、明智先生を、まるで全能の神さまかなんかのように思っているのです。この世の中に、先生にわからないことなんて、ありえないと信じているのです。「ウン、ぼくも旅先で新聞を読んで、いくらか考えていたこともあるがね。そう、きみのようにせきたてても、すぐに返事ができるものではないよ。」明智探偵は笑いながら、安楽イスにグッともたれこんで、長い足を組みあわせ、すきなエジプトたばこをふかしはじめました。これは明智探偵が深くものを考えるときのくせなのです。一本、二本、三本、たばこはみるみる灰になって、紫色の煙とエジプトたばこのかおりとが、部屋いっぱいにただよいました。「ああ、そうだ、きみ、ちょっとここへ来たまえ。」とつぜん、探偵はイスから立ちあがって、部屋のいっぽうの壁にはりつけてある東京地図のところへ行き、小林少年を手まねきしました。「養源寺というのは、どのへんにあるんだね。」小林君は地図に近づいて、正確にその場所をさししめしました。「それから、篠崎君の家は?」小林君は、またその場所をしめしました。「やっぱりぼくの想像したとおりだ。小林君、これがどういう意味かわかるかね。ほら、養源寺と篠崎家とは、町の名もちがうし、ひどくはなれているように感じられるが、裏ではくっついているんだよ。この地図のようすでは、あいだに二―三軒家があるかもしれないが、十メートルとはへだたっていないよ。」探偵は、何か意味ありげに微笑して、小林君をながめました。「ああ、そうですね。ぼくもうっかりしていました。表がわではまるで別の町だものですから、ずっとはなれているように思っていたのです。でも、先生、それが何を意味しているんだか、ぼくにはよくわかりませんが。」「なんでもないことだよ。まあ考えてごらん。宿題にしておこう。」探偵はそういいながら、もとの安楽イスにもどって、また深々ともたれこみました。「ところで、小林君、この事件には常識では説明のできないような点がいろいろあるね。それを一つかぞえあげてみようじゃないか、これが探偵学の第一課なんだよ。まず事件の中から奇妙な点をひろいだして、それにいろいろの解釈をあたえてみるというのがね……。この事件では、まず第一に黒い魔物が、東京中のほうぼうへ姿をあらわして、みんなをこわがらせたね。犯人は、いったいなんの必要があって、あんなばかなまねをしたんだろう。こんどの犯罪の目的は、篠崎家の宝石をぬすみだすことと、緑ちゃんという女の子をかどわかすことなんだが、黒い魔物がほうぼうにあらわれて、新聞に書かれたりすれば、わたしは、こんなまっ黒な人種ですよ、ご用心なさいと、まるで相手に警戒させるようなものじゃないか。それから、まだあるよ。黒い魔物はだんだん篠崎家に近づいてきて、そこでも、いろいろと見せびらかすようなまねをしている。そして、人ちがいをして、ふたりまで、よその女の子をかどわかしかけている。宝石が篠崎家にあるということを、ちゃんと見とおして、わざわざインドから出かけてくるほどの用意周到な犯人に、そんな手ぬかりがあるものだろうか。緑ちゃんという女の子が、どんな顔をしているかくらい、まえもって調べがついていそうなものじゃないか。小林君、きみは、こういうような点が、なんとなくへんだとは思わないかね。つじつまがあわないとは思わぬかね。」「ええ、ぼくは、今までそんなこと少しも考えてませんでしたけれど、ほんとうにへんですね。あいつは、わたしはこういうインド人です。こういう人さらいをしますといって、自分を広告していたようなものですね。」小林君は、はじめてそこへ気がついて、びっくりしたような顔をして、先生を見あげました。「そうだろう。犯人はふつうならば、できるだけかくすべきことがらを、これ見よがしに広告しているじゃないか。小林君、この意味がわかるかね。」探偵はそういって、みょうな微笑をうかべましたが、小林君には、先生の考えていらっしゃることが、少しもわからぬものですから、その微笑が、なんとなくうすきみ悪くさえ感じられました。「第二には、インド人が忍術使いのように消えうせたというふしぎだ。一度は養源寺の墓地で、一度は篠崎家の庭で、それからもう一度は世田谷の洋館で。これはもう、きみもよく知っていることだね。あの晩、洋館のまわりには、六人の少年探偵団の子どもが見はっていたというが、その見はりは、たしかだったのだろうね。うっかり見のがすようなことはなかっただろうね。」「それは桂君が、けっして手ぬかりはなかったといっています。みんな小学生ですけれど、なかなかしっかりした人たちですから、ぼくも信用していいと思います。」「表門のみはりをしたのは、なんという子どもだったの。」「桂君と、もうひとり小原君っていうのです。」「ふたりもいたんだね。それで、そのふたりは、春木という洋館の主人が帰ってくるのを見たといっていたかね。」「先生、そうです。ぼく、ふしぎでたまらないのです。ふたりは春木さんの帰ってくるのを見なかったというのですよ。みんなは、まだインド人が二階にいるあいだに、それぞれ見はりの部署についたのですから、春木さんが帰ってきたのは、それよりあとにちがいありません。だから、どうしても桂君たちの目の前を通らなければならなかったのです。まさか主人が裏口から帰るはずはありませんね。しかも、その裏口を見はっていた団員も、だれも通らなかったといっているのです。」「フーン、だんだんおもしろくなってくるね。きみはそのふしぎを、どう解釈しているの?警察の人に話さなかったの?」「それは桂君が中村さんに話したのだそうです。でも、中村さんは信用しないのですよ。ふたりのインド人が逃げだすのさえ見のがしたのだから、春木さんのはいってくるのを気づかなかったのはむりもないって。子どもたちのいうことなんか、あてにならないと思っているのですよ。」小林君は、少し憤慨のおももちでいうのでした。「ハハハ……。それはおもしろいね。ふたりのインド人が出ていったのも気づかないほどだから、春木さんのはいってくるのも見のがしたんだろうって?ハハハ……。」明智探偵は、なぜか、ひどくおもしろそうに笑いました。「ところでね、きみは春木さんに地下室から助けだされたんだね。むろん、春木さんをよく見ただろうね。まさかインド人が変装していたんじゃあるまいね。」「ええ、むろんそんなことはありません。しんから日本人の皮膚の色でした。おしろいやなんかで、あんなふうになるものじゃありません。長いあいだいっしょの部屋にいたんですから、ぼく、それは断言してもいいんです。」「警察でも、その後、春木さんの身がらをしらべただろうね。」「ええ、しらべたそうです。そして、べつに疑いのないことがわかりました。春木さんは、あの洋館にもう三月も住んでいて、近所の交番のおまわりさんとも顔なじみなんですって。」「ほう、おまわりさんともね。それはますますおもしろい。」明智探偵は、なにかしらゆかいでたまらないという顔つきです。「さあ、そのつぎは第三の疑問だ。それはね、きみが篠崎家の門前で、緑ちゃんをつれて自動車に乗ろうとしたとき、秘書の今井というのがドアをあけてくれたんだね。そのとき、きみは今井君の顔をはっきり見たのかね。」「ああ、そうだった。ぼく、先生にいわれるまで、うっかりしていましたよ。そうです、そうです。ぼく、今井さんの顔をはっきり見たんです。たしかに、今井さんでした。それが、自動車が動きだすとまもなく、あんな黒ん坊になってしまうなんて、へんだなあ。ぼく、なによりも、それがいちばんふしぎですよ。」「ところが、いっぽうでは、その今井君が、養源寺の墓地にしばられていたんだね。とすると、今井君がふたりになったわけじゃないか。いや、三人といったほうがいいかもしれない。墓地にころがっていた今井君と、自動車のドアをあけて、それから助手席に乗りこんだ今井君と、自動車の走っているあいだに黒ん坊になった今井君と、合わせて三人だからね。」「ええ、そうです。ぼく、さっぱりわけがわかりません。なんだか夢をみているようです。」小林君には、そうして明智探偵と話しているうちに、この事件のふしぎさが、だんだんはっきりわかってきました。もう魔法をけなす元気もありません。小林君自身が、えたいのしれない魔法にかかっているような気持でした。「小林君、思いだしてごらん。その自動車の中でね、きみは、ふたりのインド人の首すじを見なかったかね。向こうをむいている運転手と助手の首すじを見なかったかね。」探偵が、またみょうなことをたずねました。「首すじって、ここのところですか。」小林君は、自分の耳のうしろをおさえてみせました。「そうだよ。そのへんの皮膚の色を見なかったかね。」「さあ、ぼく、それは気がつきませんでした。ああ、そうそう、ふたりとも鳥打ち帽をひどくあみだにかぶっていて、耳のうしろなんかちっとも見えませんでした。」「うまい、うまい、きみはなかなかよく注意していたね。それでいいんだよ。さあ、つぎは第四の疑問だ。それはね、犯人は緑ちゃんをなぜ殺さなかったか、ということだよ。」「え、なんですって。やつらはむろん殺すつもりだったのですよ。ぼくまでいっしょにおぼれさせてしまうつもりだったのですよ。」「ところが、そうじゃなかったのさ。」探偵は、また意味ありげにニコニコと笑ってみせました。「よく考えてごらん。インド人たちはコックをしばったけれど、主人の春木さんにたいしてはなんの用意もしなかったじゃないか。春木さんは外出していて、いつ帰るかわからないのだよ。そして、帰ってくればコックの報告を聞いて、地下室のきみたちを、助けだすかもしれないのだよ。もし助けだされたら、せっかくの苦心が水のあわじゃないか。それをまるで気にもしないで、緑ちゃんの最期も見とどけないで、逃げだしてしまうなんて、あの執念ぶかさとくらべて考えてみると、おかしいほど大きな手落ちじゃないか。現に、こうして、きみも緑ちゃんも助かっているんだからね。インド人たちはなんのために、あれだけの苦労をしたのか、まるでわけがわからなくなるじゃないか。小林君、わかるかね、この意味が。犯人はね、緑ちゃんを殺す気なんて、少しもありゃしなかったのだよ。ハハハ……おもしろいじゃないか。みんなお芝居だったのだよ。」探偵はまた、さもゆかいらしく笑いだしましたが、小林君には、その意味が少しもわからないのです。いったいぜんたい先生は何を考えていらっしゃるのだろう。それを思うと、なんだかこわくなるようでした。「さあ、小林君、この四つの疑問をといてごらん。これを四つともまちがいなくといてしまえば、こんどの事件の秘密がわかるのだよ。ぼくもそれを完全にといたわけじゃない。これからたしかめてみなければならないことが、いろいろあるんだよ。しかし、ぼくには今、この事件の裏にかくれて、クスクス笑っているお化けの正体が、ぼんやり見えているんだよ。ぼくは、こんなに、ニコニコしているけれど、ほんとうはそのお化けの正体に、ギョッとしているんだ。もし、ぼくの想像があたっていたらと思うと、あぶら汗がにじみだすほどこわいのだよ。」明智探偵は、ひじょうにまじめな顔になって、声さえ低くして、さもおそろしそうにいうのでした。その顔を見ますと、小林君はゾーッと背すじが寒くなってきました。なんだかそのお化けが、うしろからバアーといって、とびだしてくるような気さえするのです。「ところでね、小林君、もう一つ思いだしてもらいたいことがあるんだが、きみはさっき、春木さんの顔をよく見たといったね。そのとき、もしやきみは……。」探偵はそこまでいうと、いきなり小林君の耳に口をよせて、なにごとかヒソヒソとささやきました。「エッ、なんですって?」それを聞くと、小林少年の顔がまっさおになってしまいました。「まさか、まさか、そんなことが……」小林君はほんとうにお化けでも見たように、そのお化けがおそいかかってくるのをふせぎでもするように、両手を前にひろげて、あとじさりをしました。「いや、そんなにこわがらなくってもいい。これは、ぼくの気のせいかもしれないのだよ。ただね、今あげた四つの疑問をよく考えてみるとね、みんなその一点を指さしているように思えるのだよ。だが、たしかめてみるまでは、なんともいえない。ぼくはきょうのうちに、一度、春木さんと会ってみるつもりだよ。春木さんの電話は何番だったかしら。」それから、明智探偵は電話帳をしらべて、春木氏に電話をかけるのでした。読者諸君、名探偵が小林君の耳にささやいたことばは、いったい、どんなことがらだったのでしょう。それを聞いた小林君は、なぜ、あれほどの恐怖をしめしたのでしょう。明智探偵は、四つの疑問をといていけば、しぜんそのおそろしい結論に達するのだといいました。諸君は、こころみにそのなぞな﹅ぞ﹅をといてごらんなさるのも一興でしょう。しかし、こんどのなぞな﹅ぞ﹅は、ずいぶん複雑ですし、その答えがあまりに意外なので、そんなにやすやすとはとけないだろうと思います。つぎの章はそのなぞな﹅ぞ﹅のとけていく場面です。そして、ゾッとするようなお化けが、正体をあらわす場面です。

