LIB READ READER

こころ・夏目漱石

15

朗読未選択 / 朗読停止中朗読未選択 / 朗読停止中

父は明らかに自分の病気を恐れていた。しかし医者の来るたびに蒼蠅うるさい質問を掛けて相手を困らすたちでもなかった。医者の方でもまた遠慮して何ともいわなかった。父は死後の事を考えているらしかった。少なくとも自分がいなくなったあとのわがいえを想像して見るらしかった。小供こどもに学問をさせるのも、しだね。せっかく修業をさせると、その小供は決してうちへ帰って来ない。これじゃ手もなく親子を隔離するために学問させるようなものだ」学問をした結果兄は今遠国えんごくにいた。教育を受けた因果で、わたくしはまた東京に住む覚悟を固くした。こういう子を育てた父の愚痴ぐちはもとより不合理ではなかった。永年住み古した田舎家いなかやの中に、たった一人取り残されそうな母をえがき出す父の想像はもとよりさびしいに違いなかった。わがいえは動かす事のできないものと父は信じ切っていた。その中に住む母もまた命のある間は、動かす事のできないものと信じていた。自分が死んだあとこの孤独な母を、たった一人伽藍堂がらんどうのわが家に取り残すのもまたはなはだしい不安であった。それだのに、東京でい地位を求めろといって、私をいたがる父の頭には矛盾があった。私はその矛盾をおかしく思ったと同時に、そのおかげでまた東京へ出られるのを喜んだ。私は父や母の手前、この地位をできるだけの努力で求めつつあるごとくに装おわなくてはならなかった。私は先生に手紙を書いて、家の事情をくわしく述べた。もし自分の力でできる事があったら何でもするから周旋してくれと頼んだ。私は先生が私の依頼に取り合うまいと思いながらこの手紙を書いた。また取り合うつもりでも、世間の狭い先生としてはどうする事もできまいと思いながらこの手紙を書いた。しかし私は先生からこの手紙に対する返事がきっと来るだろうと思って書いた。私はそれを封じて出す前に母に向かっていった。「先生に手紙を書きましたよ。あなたのおっしゃった通り。ちょっと読んでご覧なさい」母は私の想像したごとくそれを読まなかった。「そうかい、それじゃ早くお出し。そんな事はひとが気を付けないでも、自分で早くやるものだよ」母は私をまだ子供のように思っていた。私も実際子供のような感じがした。「しかし手紙じゃ用は足りませんよ。どうせ、九月にでもなって、私が東京へ出てからでなくっちゃ」「そりゃそうかも知れないけれども、またひょっとして、どんない口がないとも限らないんだから、早く頼んでおくに越した事はないよ」「ええ。とにかく返事は来るにきまってますから、そうしたらまたお話ししましょう」私はこんな事に掛けて几帳面きちょうめんな先生を信じていた。私は先生の返事の来るのを心待ちに待った。けれども私の予期はついにはずれた。先生からは一週間っても何の音信たよりもなかった。大方おおかたどこかへ避暑にでも行っているんでしょう」私は母に向かって言訳いいわけらしい言葉を使わなければならなかった。そうしてその言葉は母に対する言訳ばかりでなく、自分の心に対する言訳でもあった。私はいても何かの事情を仮定して先生の態度を弁護しなければ不安になった。私は時々父の病気を忘れた。いっそ早く東京へ出てしまおうかと思ったりした。その父自身もおのれの病気を忘れる事があった。未来を心配しながら、未来に対する所置は一向取らなかった。私はついに先生の忠告通り財産分配の事を父にいい出す機会を得ずに過ぎた。

九月始めになって、わたくしはいよいよまた東京へ出ようとした。私は父に向かって当分今まで通り学資を送ってくれるようにと頼んだ。「ここにこうしていたって、あなたのおっしゃる通りの地位が得られるものじゃないですから」私は父の希望する地位をるために東京へ行くような事をいった。「無論口の見付かるまででいですから」ともいった。私は心のうちで、その口は到底私の頭の上に落ちて来ないと思っていた。けれども事情にうとい父はまたあくまでもその反対を信じていた。「そりゃわずかあいだの事だろうから、どうにか都合してやろう。その代り永くはいけないよ。相当の地位を次第独立しなくっちゃ。元来学校を出た以上、出たあくる日からひとの世話になんぞなるものじゃないんだから。今の若いものは、金を使う道だけ心得ていて、金を取る方は全く考えていないようだね」父はこのほかにもまだ色々の小言こごとをいった。その中には、「昔の親は子に食わせてもらったのに、今の親は子に食われるだけだ」などという言葉があった。それらを私はただ黙って聞いていた。小言が一通り済んだと思った時、私は静かに席を立とうとした。父はいつ行くかと私に尋ねた。私には早いだけがかった。「お母さんに日を見てもらいなさい」「そうしましょう」その時の私は父の前に存外ぞんがいおとなしかった。私はなるべく父の機嫌に逆らわずに、田舎いなかを出ようとした。父はまた私をめた。「お前が東京へ行くとうちはまたさみしくなる。何しろおれとお母さんだけなんだからね。そのおれも身体からださえ達者ならいが、この様子じゃいつ急にどんな事がないともいえないよ」私はできるだけ父を慰めて、自分の机を置いてある所へ帰った。私は取り散らした書物の間にすわって、心細そうな父の態度と言葉とを、幾度いくたびか繰り返し眺めた。私はその時またせみの声を聞いた。その声はこの間中あいだじゅう聞いたのと違って、つくつく法師ぼうしの声であった。私は夏郷里に帰って、煮え付くような蝉の声の中にじっと坐っていると、変に悲しい心持になる事がしばしばあった。私の哀愁はいつもこの虫のはげしいと共に、心の底にみ込むように感ぜられた。私はそんな時にはいつも動かずに、一人で一人を見詰めていた。私の哀愁はこの夏帰省した以後次第に情調を変えて来た。油蝉の声がつくつく法師の声に変るごとくに、私を取り巻く人の運命が、大きな輪廻りんねのうちに、そろそろ動いているように思われた。私はさびしそうな父の態度と言葉を繰り返しながら、手紙を出しても返事を寄こさない先生の事をまたおもい浮べた。先生と父とは、まるで反対の印象を私に与える点において、比較の上にも、連想の上にも、いっしょに私の頭にのぼりやすかった。私はほとんど父のすべても知りつくしていた。もし父を離れるとすれば、情合じょうあいの上に親子の心残りがあるだけであった。先生の多くはまだ私にわかっていなかった。話すと約束されたその人の過去もまだ聞く機会を得ずにいた。要するに先生は私にとって薄暗かった。私はぜひともそこを通り越して、明るい所まで行かなければ気が済まなかった。先生と関係の絶えるのは私にとって大いな苦痛であった。私は母に日を見てもらって、東京へ立つ日取りをめた。

わたくしがいよいよ立とうという間際になって、(たしか二日前の夕方の事であったと思うが、)父はまた突然かえった。私はその時書物や衣類を詰めた行李こうりをからげていた。父は風呂ふろへ入ったところであった。父の背中を流しに行った母が大きな声を出して私を呼んだ。私は裸体はだかのまま母に後ろから抱かれている父を見た。それでも座敷へれて戻った時、父はもう大丈夫だといった。念のために枕元まくらもとすわって、濡手拭ぬれてぬぐいで父の頭をひやしていた私は、九時ごろになってようやくかたばかりの夜食を済ました。翌日よくじつになると父は思ったより元気がかった。めるのも聞かずに歩いて便所へ行ったりした。「もう大丈夫」父は去年の暮倒れた時に私に向かっていったと同じ言葉をまた繰り返した。その時ははたして口でいった通りまあ大丈夫であった。私は今度もあるいはそうなるかも知れないと思った。しかし医者はただ用心が肝要だと注意するだけで、念を押しても判然はっきりした事を話してくれなかった。私は不安のために、出立しゅったつの日が来てもついに東京へ立つ気が起らなかった。「もう少し様子を見てからにしましょうか」と私は母に相談した。「そうしておくれ」と母が頼んだ。母は父が庭へ出たり背戸せどへ下りたりする元気を見ている間だけは平気でいるくせに、こんな事が起るとまた必要以上に心配したり気をんだりした。「お前は今日東京へ行くはずじゃなかったか」と父が聞いた。「ええ、少し延ばしました」と私が答えた。「おれのためにかい」と父が聞き返した。私はちょっと躊躇ちゅうちょした。そうだといえば、父の病気の重いのを裏書きするようなものであった。私は父の神経を過敏にしたくなかった。しかし父は私の心をよく見抜いているらしかった。「気の毒だね」といって、庭の方を向いた。私は自分の部屋にはいって、そこに放り出された行李を眺めた。行李はいつ持ち出しても差支さしつかえないように、堅くくくられたままであった。私はぼんやりその前に立って、また縄を解こうかと考えた。私は坐ったまま腰を浮かした時の落ち付かない気分で、また三、四日を過ごした。すると父がまた卒倒した。医者は絶対に安臥あんがを命じた。「どうしたものだろうね」と母が父に聞こえないような小さな声で私にいった。母の顔はいかにも心細そうであった。私は兄といもとに電報を打つ用意をした。けれども寝ている父にはほとんど何の苦悶くもんもなかった。話をするところなどを見ると、風邪かぜでも引いた時と全く同じ事であった。その上食欲は不断よりも進んだ。はたのものが、注意しても容易にいう事を聞かなかった。「どうせ死ぬんだから、うまいものでも食って死ななくっちゃ」私には旨いものという父の言葉が滑稽こっけいにも悲酸ひさんにも聞こえた。父は旨いものを口に入れられる都には住んでいなかったのである。ってかきもちなどを焼いてもらってぼりぼりんだ。「どうしてこうかわくのかね。やっぱりしんに丈夫の所があるのかも知れないよ」母は失望していいところにかえって頼みを置いた。そのくせ病気の時にしか使わない渇くという昔風の言葉を、何でも食べたがる意味に用いていた。伯父おじが見舞に来たとき、父はいつまでも引き留めて帰さなかった。さむしいからもっといてくれというのがおもな理由であったが、母や私が、食べたいだけ物を食べさせないという不平を訴えるのも、その目的の一つであったらしい。

EPISODE COMMENTS

この話の感想

感想 0

15話感想一覧

感想一覧を読み込み中...