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こころ・夏目漱石

16

朗読未選択 / 朗読停止中朗読未選択 / 朗読停止中

父の病気は同じような状態で一週間以上つづいた。わたくしはその間に長い手紙を九州にいる兄あてで出した。いもとへは母から出させた。私は腹の中で、おそらくこれが父の健康に関して二人へやる最後の音信たよりだろうと思った。それで両方へいよいよという場合には電報を打つから出て来いという意味を書き込めた。兄は忙しい職にいた。妹は妊娠中であった。だから父の危険が眼の前にせまらないうちに呼び寄せる自由はかなかった。といって、折角都合して来たには来たが、に合わなかったといわれるのもつらかった。私は電報を掛ける時機について、人の知らない責任を感じた。「そう判然はっきりした事になると私にも分りません。しかし危険はいつ来るか分らないという事だけは承知していて下さい」停車場ステーションのある町から迎えた医者は私にこういった。私は母と相談して、その医者の周旋で、町の病院から看護婦を一人頼む事にした。父は枕元まくらもとへ来て挨拶あいさつする白い服を着た女を見て変な顔をした。父は死病にかかっている事をとうから自覚していた。それでいて、眼前にせまりつつある死そのものには気が付かなかった。「今になおったらもう一返いっぺん東京へ遊びに行ってみよう。人間はいつ死ぬか分らないからな。何でもやりたい事は、生きてるうちにやっておくに限る」母は仕方なしに「その時は私もいっしょにれて行って頂きましょう」などと調子を合せていた。時とするとまた非常にさみしがった。「おれが死んだら、どうかお母さんを大事にしてやってくれ」私はこの「おれが死んだら」という言葉に一種の記憶をもっていた。東京を立つ時、先生が奥さんに向かって何遍なんべんもそれを繰り返したのは、私が卒業した日の晩の事であった。私はわらいを帯びた先生の顔と、縁喜えんぎでもないと耳をふさいだ奥さんの様子とをおもい出した。あの時の「おれが死んだら」は単純な仮定であった。今私が聞くのはいつ起るか分らない事実であった。私は先生に対する奥さんの態度を学ぶ事ができなかった。しかし口の先では何とか父を紛らさなければならなかった。「そんな弱い事をおっしゃっちゃいけませんよ。今になおったら東京へ遊びにいらっしゃるはずじゃありませんか。お母さんといっしょに。今度いらっしゃるときっと吃驚びっくりしますよ、変っているんで。電車の新しい線路だけでも大変えていますからね。電車が通るようになれば自然町並まちなみも変るし、その上に市区改正もあるし、東京がじっとしている時は、まあ二六時中にろくじちゅう一分もないといっていいくらいです」私は仕方がないからいわないでいい事まで喋舌しゃべった。父はまた、満足らしくそれを聞いていた。病人があるので自然いえの出入りも多くなった。近所にいる親類などは、二日に一人ぐらいの割で代る代る見舞に来た。中には比較的遠くにいて平生へいぜい疎遠なものもあった。「どうかと思ったら、この様子じゃ大丈夫だ。話も自由だし、だいち顔がちっともせていないじゃないか」などといって帰るものがあった。私の帰った当時はひっそりし過ぎるほど静かであった家庭が、こんな事で段々ざわざわし始めた。その中に動かずにいる父の病気は、ただ面白くない方へ移って行くばかりであった。私は母や伯父おじと相談して、とうとう兄といもとに電報を打った。兄からはすぐ行くという返事が来た。妹の夫からも立つという報知しらせがあった。妹はこの前懐妊かいにんした時に流産したので、今度こそは癖にならないように大事を取らせるつもりだと、かねていい越したその夫は、妹の代りに自分で出て来るかも知れなかった。

十一

こうした落ち付きのない間にも、わたくしはまだ静かにすわる余裕をもっていた。たまには書物を開けて十ページもつづけざまに読む時間さえ出て来た。一旦いったん堅くくくられた私の行李こうりは、いつの間にか解かれてしまった。私はるに任せて、その中から色々なものを取り出した。私は東京を立つ時、心のうちでめた、この夏中の日課を顧みた。私のやった事はこの日課のさんいちにも足らなかった。私は今までもこういう不愉快を何度となく重ねて来た。しかしこの夏ほど思った通り仕事の運ばないためしも少なかった。これが人の世の常だろうと思いながらも私はいやな気持におさえ付けられた。私はこの不快のうちに坐りながら、一方に父の病気を考えた。父の死んだあとの事を想像した。そうしてそれと同時に、先生の事を一方に思い浮べた。私はこの不快な心持の両端に地位、教育、性格の全然異なった二人の面影をながめた。私が父の枕元まくらもとを離れて、独り取り乱した書物の中に腕組みをしているところへ母が顔を出した。「少し午眠ひるねでもおしよ。お前もさぞ草臥くたびれるだろう」母は私の気分を了解していなかった。私も母からそれを予期するほどの子供でもなかった。私は単簡たんかんに礼を述べた。母はまだへやの入口に立っていた。「お父さんは?」と私が聞いた。「今よく寝ておいでだよ」と母が答えた。母は突然はいって来て私のそばすわった。「先生からまだ何ともいって来ないかい」と聞いた。母はその時の私の言葉を信じていた。その時の私は先生からきっと返事があると母に保証した。しかし父や母の希望するような返事が来るとは、その時の私もまるで期待しなかった。私は心得があって母をあざむいたと同じ結果に陥った。「もう一遍いっぺん手紙を出してご覧な」と母がいった。役に立たない手紙を何通書こうと、それが母の慰安になるなら、手数をいとうような私ではなかった。けれどもこういう用件で先生にせまるのは私の苦痛であった。私は父にしかられたり、母の機嫌を損じたりするよりも、先生から見下げられるのをはるかに恐れていた。あの依頼に対して今まで返事のもらえないのも、あるいはそうした訳からじゃないかしらという邪推もあった。「手紙を書くのは訳はないですが、こういう事は郵便じゃとてもらちは明きませんよ。どうしても自分で東京へ出て、じかに頼んでまわらなくっちゃ」「だってお父さんがあの様子じゃ、お前、いつ東京へ出られるか分らないじゃないか」「だから出やしません。なおるとも癒らないとも片付かないうちは、ちゃんとこうしているつもりです」「そりゃわかり切った話だね。今にもむずかしいという大病人をほうちらかしておいて、誰が勝手に東京へなんか行けるものかね」私は始め心のなかで、何も知らない母をあわれんだ。しかし母がなぜこんな問題をこのざわざわした際に持ち出したのか理解できなかった。私が父の病気をよそに、静かに坐ったり書見したりする余裕のあるごとくに、母も眼の前の病人を忘れて、ほかの事を考えるだけ、胸に空地すきまがあるのかしらとうたぐった。その時「実はね」と母がいい出した。「実はお父さんの生きておいでのうちに、お前の口がきまったらさぞ安心なさるだろうと思うんだがね。この様子じゃ、とても間に合わないかも知れないけれども、それにしても、まだああやって口もたしかなら気も慥かなんだから、ああしてお出のうちに喜ばして上げるように親孝行をおしな」憐れな私は親孝行のできない境遇にいた。私はついに一行の手紙も先生に出さなかった。

十二

兄が帰って来た時、父は寝ながら新聞を読んでいた。父は平生へいぜいから何をいても新聞だけには眼を通す習慣であったが、とこについてからは、退屈のため猶更なおさらそれを読みたがった。母もわたくしいては反対せずに、なるべく病人の思い通りにさせておいた。「そういう元気なら結構なものだ。よっぽど悪いかと思って来たら、大変いようじゃありませんか」兄はこんな事をいいながら父と話をした。そのにぎやか過ぎる調子が私にはかえって不調和に聞こえた。それでも父の前をはずして私と差し向いになった時は、むしろ沈んでいた。「新聞なんか読ましちゃいけなかないか」わたしもそう思うんだけれども、読まないと承知しないんだから、仕様がない」兄は私の弁解を黙って聞いていた。やがて、「よくわかるのかな」といった。兄は父の理解力が病気のために、平生よりはよっぽどにぶっているように観察したらしい。「そりゃたしかです。わたしはさっき二十分ばかり枕元まくらもとすわって色々話してみたが、調子の狂ったところは少しもないです。あの様子じゃことによるとまだなかなか持つかも知れませんよ」兄と前後して着いたいもとの夫の意見は、我々よりもよほど楽観的であった。父は彼に向かって妹の事をあれこれと尋ねていた。身体からだが身体だからむやみに汽車になんぞ乗ってれない方が好い。無理をして見舞に来られたりすると、かえってこっちが心配だから」といっていた。「なに今に治ったら赤ん坊の顔でも見に、久しぶりにこっちから出掛けるから差支さしつかえない」ともいっていた。乃木大将のぎだいしょうの死んだ時も、父は一番さきに新聞でそれを知った。「大変だ大変だ」といった。何事も知らない私たちはこの突然な言葉に驚かされた。「あの時はいよいよ頭が変になったのかと思って、ひやりとした」と後で兄が私にいった。わたしも実は驚きました」と妹の夫も同感らしい言葉つきであった。そのころの新聞は実際田舎いなかものには日ごとに待ち受けられるような記事ばかりあった。私は父の枕元に坐って鄭寧ていねいにそれを読んだ。読む時間のない時は、そっと自分のへやへ持って来て、残らず眼を通した。私の眼は長い間、軍服を着た乃木大将と、それから官女かんじょみたような服装なりをしたその夫人の姿を忘れる事ができなかった。悲痛な風が田舎の隅まで吹いて来て、眠たそうなや草を震わせている最中さいちゅうに、突然私は一通の電報を先生から受け取った。洋服を着た人を見ると犬がえるような所では、一通の電報すら大事件であった。それを受け取った母は、はたして驚いたような様子をして、わざわざ私を人のいない所へ呼び出した。「何だい」といって、私の封を開くのをそばに立って待っていた。電報にはちょっと会いたいが来られるかという意味が簡単に書いてあった。私は首を傾けた。「きっとおたのもうしておいた口の事だよ」と母が推断してくれた。私もあるいはそうかも知れないと思った。しかしそれにしては少し変だとも考えた。とにかく兄やいもとの夫まで呼び寄せた私が、父の病気を打遣うちやって、東京へ行く訳には行かなかった。私は母と相談して、行かれないという返電を打つ事にした。できるだけ簡略な言葉で父の病気の危篤きとくに陥りつつあるむねも付け加えたが、それでも気が済まなかったから、委細いさい手紙として、細かい事情をその日のうちにしたためて郵便で出した。頼んだ位地の事とばかり信じ切った母は、「本当にの悪い時は仕方のないものだね」といって残念そうな顔をした。

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