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私の個人主義・夏目漱石

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一年の後私はとうとう田舎いなかの中学へ赴任ふにんしました。それは伊予いよの松山にある中学校です。あなたがたは松山の中学と聞いてお笑いになるが、おおかた私の書いた「坊ちゃん」でもご覧になったのでしょう。「坊ちゃん」の中に赤シャツという渾名あだなをもっている人があるが、あれはいったい誰の事だと私はその時分よく訊かれたものです。誰の事だって、当時その中学に文学士と云ったら私一人なのですから、もし「坊ちゃん」の中の人物を一々実在のものと認めるならば、赤シャツはすなわちこういう私の事にならなければならんので、――はなはだありがたい仕合せと申上げたいような訳になります。松山にもたった一カ年しかおりませんでした。立つ時に知事が留めてくれましたが、もう先方と内約ができていたので、とうとう断ってそこを立ちました。そうして今度は熊本くまもとの高等学校にこしえました。こういう順序で中学から高等学校、高等学校から大学と順々に私は教えて来た経験をもっていますが、ただ小学校と女学校だけはまだ足を入れたためしがございません。熊本には大分長くおりました。突然文部省から英国へ留学をしてはどうかという内談のあったのは、熊本へ行ってから何年目になりましょうか。私はその時留学をことわろうかと思いました。それは私のようなものが、何の目的ももたずに、外国へ行ったからと云って、別に国家のために役に立つ訳もなかろうと考えたからです。しかるに文部省の内意を取次とりついでくれた教頭が、それは先方の見込みなのだから、君の方で自分を評価する必要はない、ともかくも行った方が好かろうと云うので、私も絶対に反抗する理由もないから、命令通り英国へ行きました。しかしはたせるかな何もする事がないのです。それを説明するためには、それまでの私というものを一応お話ししなければならん事になります。そのお話がすなわち今日の講演の一部分を構成する訳なのですからそのつもりでお聞きを願います。私は大学で英文学という専門をやりました。その英文学というものはどんなものかとおたずねになるかも知れませんが、それを三年専攻した私にも何が何だかまあ夢中むちゅうだったのです。その頃はジクソンという人が教師でした。私はその先生の前で詩を読ませられたり文章を読ませられたり、作文を作って、冠詞かんしが落ちていると云ってしかられたり、発音が間違っているとおこられたりしました。試験にはウォーズウォースは何年に生れて何年に死んだとか、シェクスピヤのフォリオは幾通りあるかとか、あるいはスコットの書いた作物を年代順にならべてみろとかいう問題ばかり出たのです。年の若いあなた方にもほぼ想像ができるでしょう、はたしてこれが英文学かどうだかという事が。英文学はしばらくいて第一文学とはどういうものだか、これではとうていわかるはずがありません。それなら自力でそれをきわめ得るかと云うと、まあ盲目めくら垣覗かきのぞきといったようなもので、図書館に入って、どこをどううろついても手掛てがかりがないのです。これは自力の足りないばかりでなくその道に関した書物もとぼしかったのだろうと思います。とにかく三年勉強して、ついに文学は解らずじまいだったのです。私の煩悶はんもんは第一ここに根ざしていたと申し上げても差支ないでしょう。私はそんなあやふやな態度で世の中へ出てとうとう教師になったというより教師にされてしまったのです。幸に語学の方はあやしいにせよ、どうかこうかお茶をにごして行かれるから、その日その日はまあ無事に済んでいましたが、腹の中は常に空虚くうきょでした。空虚ならいっそ思い切りがよかったかも知れませんが、何だか不愉快なえ切らない漠然ばくぜんたるものが、至る所にひそんでいるようでまらないのです。しかも一方では自分の職業としている教師というものに少しの興味ももち得ないのです。教育者であるという素因の私に欠乏している事は始めから知っていましたが、ただ教場で英語を教える事がすでに面倒なのだから仕方がありません。私は始終中腰ですきがあったら、自分の本領へ飛び移ろう飛び移ろうとのみ思っていたのですが、さてその本領というのがあるようで、無いようで、どこを向いても、思い切ってやっと飛び移れないのです。私はこの世に生れた以上何かしなければならん、といって何をして好いか少しも見当がつかない。私はちょうどきりの中に閉じ込められた孤独こどくの人間のように立ちすくんでしまったのです。そうしてどこからか一筋の日光がして来ないかしらんという希望よりも、こちらから探照灯を用いてたった一条ひとすじで好いから先まで明らかに見たいという気がしました。ところが不幸にしてどちらの方角を眺めてもぼんやりしているのです。ぼうっとしているのです。あたかもふくろの中にめられて出る事のできない人のような気持がするのです。私は私の手にただ一本のきりさえあればどこか一カ所突き破って見せるのだがと、焦燥あせいたのですが、あいにくその錐は人から与えられる事もなく、また自分で発見する訳にも行かず、ただ腹の底ではこの先自分はどうなるだろうと思って、人知れず陰欝いんうつな日を送ったのであります。私はこうした不安をいだいて大学を卒業し、同じ不安を連れて松山から熊本へ引越ひっこし、また同様の不安を胸の底にたたんでついに外国までわたったのであります。しかしいったん外国へ留学する以上は多少の責任を新たに自覚させられるにはきまっています。それで私はできるだけ骨を折って何かしようと努力しました。しかしどんな本を読んでも依然いぜんとして自分は嚢の中から出る訳に参りません。この嚢を突き破る錐は倫敦ロンドン中探して歩いても見つかりそうになかったのです。私は下宿の一間の中で考えました。つまらないと思いました。いくら書物を読んでも腹のたしにはならないのだとあきらめました。同時に何のために書物を読むのか自分でもその意味が解らなくなって来ました。この時私は始めて文学とはどんなものであるか、その概念がいねんを根本的に自力で作り上げるよりほかに、私を救う途はないのだとさとったのです。今までは全く他人本位で、根のないうきぐさのように、そこいらをでたらめにただよっていたから、駄目だめであったという事にようやく気がついたのです。私のここに他人本位というのは、自分の酒を人に飲んでもらって、後からその品評を聴いて、それを理が非でもそうだとしてしまういわゆる人真似ひとまねを指すのです。一口にこう云ってしまえば、馬鹿らしく聞こえるから、誰もそんな人真似をする訳がないと不審ふしんがられるかも知れませんが、事実はけっしてそうではないのです。近頃流行はやるベルグソンでもオイケンでもみんなむこうの人がとやかくいうので日本人もその尻馬しりうまに乗ってさわぐのです。ましてその頃は西洋人のいう事だと云えば何でもかでも盲従もうじゅうして威張いばったものです。だからむやみに片仮名を並べて人に吹聴ふいちょうして得意がった男が比々みなこれなりと云いたいくらいごろごろしていました。ひとの悪口ではありません。こういう私が現にそれだったのです。たとえばある西洋人がこうという同じ西洋人の作物を評したのを読んだとすると、その評の当否はまるで考えずに、自分のに落ちようが落ちまいが、むやみにその評をれ散らかすのです。つまり鵜呑うのみと云ってもよし、また機械的の知識と云ってもよし、とうていわが所有とも血とも肉とも云われない、よそよそしいものを我物顔わがものがおにしゃべって歩くのです。しかるに時代が時代だから、またみんながそれをめるのです。けれどもいくら人に賞められたって、元々人の借着をして威張っているのだから、内心は不安です。手もなく孔雀くじゃくの羽根を身に着けて威張っているようなものですから。それでもう少し浮華ふかを去って摯実しじつにつかなければ、自分の腹の中はいつまでったって安心はできないという事に気がつき出したのです。たとえば西洋人がこれは立派な詩だとか、口調が大変好いとか云っても、それはその西洋人の見るところで、私の参考にならん事はないにしても、私にそう思えなければ、とうてい受売うけうりをすべきはずのものではないのです。私が独立した一個の日本人であって、けっして英国人の奴婢どひでない以上はこれくらいの見識は国民の一員としてそなえていなければならない上に、世界に共通な正直という徳義を重んずる点から見ても、私は私の意見を曲げてはならないのです。しかし私は英文学を専攻する。その本場の批評家のいうところと私のかんがえ矛盾むじゅんしてはどうも普通ふつうの場合気が引ける事になる。そこでこうした矛盾がはたしてどこから出るかという事を考えなければならなくなる。風俗、人情、習慣、さかのぼっては国民の性格皆この矛盾の原因になっているに相違ない。それを、普通の学者は単に文学と科学とを混同して、甲の国民に気に入るものはきっとおつの国民の賞讃を得るにきまっている、そうした必然性がふくまれていると誤認してかかる。そこが間違っていると云わなければならない。たといこの矛盾を融和ゆうわする事が不可能にしても、それを説明する事はできるはずだ。そうして単にその説明だけでも日本の文壇ぶんだんには一道の光明を投げあたえる事ができる。――こう私はその時始めて悟ったのでした。はなはだおそまきの話で慚愧ざんきいたりでありますけれども、事実だからいつわらないところを申し上げるのです。私はそれから文芸に対する自己の立脚地りっきゃくちかためるため、堅めるというより新らしく建設するために、文芸とは全くえんのない書物を読み始めました。一口でいうと、自己本位という四字をようやく考えて、その自己本位を立証するために、科学的な研究やら哲学的てつがくてき思索しさくふけり出したのであります。今は時勢が違いますから、この辺の事は多少頭のある人にはよく解せられているはずですが、その頃は私が幼稚ようちな上に、世間がまだそれほど進んでいなかったので、私のやり方は実際やむをえなかったのです。私はこの自己本位という言葉を自分の手ににぎってから大変強くなりました。かれら何者ぞやと気慨きがいが出ました。今まで茫然ぼうぜんと自失していた私に、ここに立って、この道からこう行かなければならないと指図さしずをしてくれたものは実にこの自我本位の四字なのであります。自白すれば私はその四字から新たに出立したのであります。そうして今のようにただ人の尻馬にばかり乗って空騒ぎをしているようでははなはだ心元ない事だから、そう西洋人ぶらないでも好いという動かすべからざる理由を立派に彼らの前に投げ出してみたら、自分もさぞ愉快だろう、人もさぞ喜ぶだろうと思って、著書その他の手段によって、それを成就するのを私の生涯しょうがいの事業としようと考えたのです。その時私の不安は全く消えました。私は軽快な心をもって陰欝いんうつな倫敦を眺めたのです。比喩ひゆで申すと、私は多年の間懊悩おうのうした結果ようやく自分の鶴嘴つるはしをがちりと鉱脈にり当てたような気がしたのです。なおかえしていうと、今まで霧の中に閉じ込まれたものが、ある角度の方向で、明らかに自分の進んで行くべき道を教えられた事になるのです。かく私が啓発けいはつされた時は、もう留学してから、一年以上経過していたのです。それでとても外国では私の事業を仕上しあげる訳に行かない、とにかくできるだけ材料を纏めて、本国へ立ち帰った後、立派に始末をつけようという気になりました。すなわち外国へ行った時よりも帰って来た時の方が、偶然ぐうぜんながらある力を得た事になるのです。ところが帰るや否や私は衣食のために奔走ほんそうする義務がさっそく起りました。私は高等学校へも出ました。大学へも出ました。後では金が足りないので、私立学校も一けんかせぎました。その上私は神経衰弱しんけいすいじゃくに罹りました。最後に下らない創作などを雑誌にせなければならない仕儀しぎおちいりました。いろいろの事情で、私は私のくわだてた事業を半途はんとで中止してしまいました。私のあらわした文学論はその記念というよりもむしろ失敗の亡骸なきがらです。しかも畸形児きけいじの亡骸です。あるいは立派に建設されないうちに地震じしんたおされた未成市街の廃墟はいきょのようなものです。しかしながら自己本位というその時得た私の考は依然としてつづいています。否年を経るに従ってだんだん強くなります。著作的事業としては、失敗に終りましたけれども、その時確かに握った自己が主で、他はひんであるという信念は、今日の私に非常の自信と安心を与えてくれました。私はその引続きとして、今日なお生きていられるような心持がします。実はこうした高い壇の上に立って、諸君を相手に講演をするのもやはりその力のおかげかも知れません。以上はただ私の経験だけをざっとお話ししたのでありますけれども、そのお話しを致した意味は全くあなたがたのご参考になりはしまいかという老婆心ろうばしんからなのであります。あなたがたはこれからみんな学校を去って、世の中へお出かけになる。それにはまだ大分時間のかかる方もございましょうし、またはおっつけ実社界に活動なさる方もあるでしょうが、いずれも私の一度経過した煩悶はんもん(たとい種類は違っても)繰返くりかえしがちなものじゃなかろうかと推察されるのです。私のようにどこか突き抜けたくっても突き抜ける訳にも行かず、何かつかみたくっても薬缶頭やかんあたまを掴むようにつるつるして焦燥れったくなったりする人が多分あるだろうと思うのです。もしあなたがたのうちですでに自力で切り開いた道を持っている方は例外であり、またひとの後に従って、それで満足して、在来の古い道を進んで行く人も悪いとはけっして申しませんが、(自己に安心と自信がしっかり附随ふずいしているならば、)しかしもしそうでないとしたならば、どうしても、一つ自分の鶴嘴で掘り当てるところまで進んで行かなくってはいけないでしょう。いけないというのは、もし掘りあてる事ができなかったなら、その人は生涯不愉快で、始終中腰になって世の中にまごまごしていなければならないからです。私のこの点を力説するのは全くそのためで、何も私を模範もはんになさいという意味ではけっしてないのです。私のようなつまらないものでも、自分で自分が道をつけつつ進み得たという自覚があれば、あなた方から見てその道がいかに下らないにせよ、それはあなたがたの批評と観察で、私には寸毫すんごうの損害がないのです。私自身はそれで満足するつもりであります。しかし私自身がそれがため、自信と安心をもっているからといって、同じ径路けいろがあなたがたの模範になるとはけっして思ってはいないのですから、誤解してはいけません。それはとにかく、私の経験したような煩悶があなたがたの場合にもしばしば起るに違いないと私は鑑定かんていしているのですが、どうでしょうか。もしそうだとすると、何かに打ち当るまで行くという事は、学問をする人、教育を受ける人が、生涯の仕事としても、あるいは十年二十年の仕事としても、必要じゃないでしょうか。ああここにおれの進むべき道があった!ようやく掘り当てた!こういう感投詞を心の底からさけび出される時、あなたがたは始めて心を安んずる事ができるのでしょう。容易に打ちこわされない自信が、その叫び声とともにむくむく首をもたげて来るのではありませんか。すでにその域に達している方も多数のうちにはあるかも知れませんが、もし途中で霧かもやのために懊悩していられる方があるならば、どんな犠牲ぎせいはらっても、ああここだという掘当ほりあてるところまで行ったらよろしかろうと思うのです。必ずしも国家のためばかりだからというのではありません。またあなた方のご家族のために申し上げる次第でもありません。あなたがた自身の幸福のために、それが絶対に必要じゃないかと思うから申上げるのです。もし私の通ったような道を通り過ぎた後なら致し方もないが、もしどこかにこ﹅だ﹅わ﹅り﹅があるなら、それを踏潰ふみつぶすまで進まなければ駄目ですよ。――もっとも進んだってどう進んで好いか解らないのだから、何かにぶつかる所まで行くよりほかに仕方がないのです。私は忠告がましい事をあなたがたに強いる気はまるでありませんが、それが将来あなたがたの幸福の一つになるかも知れないと思うとだまっていられなくなるのです。腹の中の煮え切らない、徹底てっていしない、ああでもありこうでもあるというような海鼠なまこのような精神をいだいてぼんやりしていては、自分が不愉快ではないか知らんと思うからいうのです。不愉快でないとおっしゃればそれまでです、またそんな不愉快は通りしているとおっしゃれば、それも結構であります。ねがわくは通り越してありたいと私はいのるのであります。しかしこの私は学校を出て三十以上まで通り越せなかったのです。その苦痛は無論鈍痛どんつうではありましたが、年々歳々さいさい感ずるいたみには相違なかったのであります。だからもし私のような病気に罹った人が、もしこの中にあるならば、どうぞ勇猛ゆうもうにお進みにならん事を希望してやまないのです。もしそこまで行ければ、ここにおれの尻を落ちつける場所があったのだという事実をご発見になって、生涯の安心と自信を握る事ができるようになると思うから申し上げるのです。

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