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春と修羅・宮沢賢治

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蠕虫舞手アンネリダタンツエーリン

(えゝ 水ゾルですよ、おぼろな寒天アガアの液ですよ)日は黄金きんの薔薇、赤いちひさな蠕虫ぜんちゆうが、水とひかりをからだにまとひ、ひとりでをどりをやつてゐる、(えゝ 8《エイト》 γ《ガムマア》 e《イー》 6《スイツクス》 α《アルフア》、ことにもアラベスクの飾り文字)羽むしの死骸、いちゐのかれ葉、真珠の泡に、ちぎれたこけの花軸など、(ナチラナトラのひいさまは、いまみづ底のみかげのうへに、黄いろなかげとおふたりで、せつかくをどつてゐられます、いゝえ けれども すぐでせう、まもなく浮いておいででせう)赤い蠕虫舞手アンネリダタンツエーリンは、とがつた二つの耳をもち、燐光珊瑚の環節に、正しく飾る真珠のぼたん、くるりくるりと廻つてゐます、(えゝ 8《エイト》 γ《ガムマア》 e《イー》 6《スイツクス》 α《アルフア》、ことにもアラベスクの飾り文字)背中きらきらかがやいて、ちからいつぱいまはりはするが、真珠もじつはまがひもの、ガラスどころか空気だま、(いゝえ それでも、エイト ガムマア イー スイツクス アルフア、ことにもアラベスクの飾り文字)水晶体や鞏膜きようまくの、オペラグラスにのぞかれて、をどつてゐるといはれても、真珠の泡を苦にするのなら、おまへもさつぱりらくぢやない、それに日が雲に入つたし、わたしは石に座つてしびれが切れたし、水底の黒い木片は毛虫か海鼠なまこのやうだしさ、それに第一おまへのかたちは見えないし、ほんとに溶けてしまつたのやら、それともみんなはじめから、おぼろに青い夢だやら、(いゝえ あすこにおいでです おいでです、ひいさま いらつしやいます、8《エイト》 γ《ガムマア》 e《イー》 6《スイツクス》 α《アルフア》、ことにもアラベスクの飾り文字)ふん 水はおぼろで、ひかりは惑ひ、虫は エイト ガムマア イー スイツクス アルフア、ことにもアラベスクの飾り文字かい、ハツハツハ、(はい まつたくそれにちがひません、エイト ガムマア イー スイツクス アルフア、ことにもアラベスクの飾り文字)(一九二二、五、二〇)

小岩井農場

小岩井農場

パート一

わたくしはずゐぶんすばやく汽車からおりた、そのために雲がぎらつとひかつたくらゐだ、けれどももつとはやいひとはある、化学の並川さんによくたひとだ、あのオリーブのせびろなどは、そつくりおとなしい農学士だ、さつき盛岡のていしやばでも、たしかにわたくしはさうおもつてゐた、このひとが砂糖水のなかの、つめたくあかるい待合室から、ひとあしでるとき……わたくしもでる、馬車がいちだいたつてゐる、馭者ぎよしやがひとことなにかいふ、黒塗りのすてきな馬車だ、光沢消つやけしだ、馬も上等のハツクニー、このひとはかすかにうなづき、それからじぶんといふ小さな荷物を、載つけるといふ気軽きがるなふうで、馬車にのぼつてこしかける、(わづかの光の交錯かうさくだ)そののあたつたせなかが、すこし屈んでしんとしてゐる、わたくしはあるいて馬と並ぶ、これはあるいは客馬車だ、どうも農場のらしくない、わたくしにも乗れといへばいい、馭者がよこから呼べばいい、乗らなくたつていゝのだが、これから五里もあるくのだし、くらかけ山の下あたりで、ゆつくり時間もほしいのだ、あすこなら空気もひどく明瞭で、樹でも艸でもみんな幻燈だ、もちろんおきなぐさも咲いてゐるし、野はらは黒ぶだうしゆのコツプもならべて、わたくしを款待するだらう、そこでゆつくりとどまるために、本部まででも乗つた方がいい、今日ならわたくしだつて、馬車に乗れないわけではない、(あいまいな思惟の蛍光けいくわうきつといつでもかうなのだ)もう馬車がうごいてゐる、(これがじつにいゝことだ、どうしようか考へてゐるひまに、それが過ぎてくなるといふこと)ひらつとわたくしを通り越す、みちはまつ黒の腐植土で、あまあがりだし弾力もある、馬はピンと耳を立て、そのはじは向ふの青い光に尖り、いかにもきさくに馳けて行く、うしろからはもうたれも来ないのか、つつましく肩をすぼめた停車と、新開地風の飲食店いんしよくてんガラス障子はありふれてでこぼこ、わらぢや sun-maid のから函や、夏みかんのあかるいにほひ、汽車からおりたひとたちは、さつきたくさんあつたのだが、みんな丘かげの茶褐部落や、つなぎあたりへ往くらしい、西にまがつて見えなくなつた、いまわたくしは歩測のときのやう、しんかい地ふうのたてものは、みんなうしろに片けた、そしてこここそ畑になつてゐる、黒馬が二ひき汗でぬれ、プラウをひいて往つたりきたりする、ひはいろのやはらかな山のこつちがはだ、山ではふしぎに風がふいてゐる、嫩葉わかばがさまざまにひるがへる、ずうつと遠くのくらいところでは、鶯もごろごろ啼いてゐる、その透明な群青のうぐひすが、(ほんたうの鶯の方はドイツ読本の、ハンスがうぐひすでないよと云つた)馬車はずんずん遠くなる、大きくゆれるしはねあがる、紳士もかろくはねあがる、このひとはもうよほど世間をわたり、いまは青ぐろいふちのやうなとこへ、すましてこしかけてゐるひとなのだ、そしてずんずん遠くなる、はたけの馬は二ひき、ひとはふたりで赤い、雲にされた日光のために、いよいよあかくけてゐる、冬にきたときとはまるでべつだ、みんなすつかり変つてゐる、変つたとはいへそれは雪が往き、雲がひらけてつちが呼吸し、幹や芽のなかに燐光や樹液じゆえきがながれ、あをじろい春になつただけだ、それよりもこんなせはしい心象の明滅をつらね、すみやかなすみやかな万法流転ばんぼふるてんのなかに、小岩井のきれいな野はらや牧場の標本が、いかにも確かに継起けいきするといふことが、どんなに新鮮な奇蹟だらう、ほんたうにこのみちをこの前行くときは、空気がひどく稠密で、つめたくそしてあかる過ぎた、今日は七つ森はいちめんの枯草かれくさ松木がをかしな緑褐に、丘のうしろとふもとに生えて、大へん陰欝にふるびて見える

パート二

たむぼりんも遠くのそらで鳴つてるし、雨はけふはだいぢやうぶふらない、しかし馬車もはやいと云つたところで、そんなにすてきなわけではない、いままでたつてやつとあすこまで、ここからあすこまでのこのまつすぐな、火山灰のみちの分だけ行つたのだ、あすこはちやうどまがり目で、すがれの草もゆれてゐる、(山は青い雲でいつぱい 光つてゐるし、かけて行く馬車はくろくてりつぱだ)ひばり ひばり、銀の微塵みぢんのちらばるそらへ、たつたいまのぼつたひばりなのだ、くろくてすばやくきんいろだ、そらでやる Brownian movement、おまけにあいつのはねときたら、甲虫のやうに四まいある、飴いろのやつと硬い漆ぬりの方と、たしかに二重ふたへにもつてゐる、よほど上手に鳴いてゐる、そらのひかりを呑みこんでゐる、光波のために溺れてゐる、もちろんずつと遠くでは、もつとたくさんないてゐる、そいつのはうははいけいだ、向ふからはこつちのやつがひどく勇敢に見える、うしろから五月のいまごろ、黒いながいオーヴアを着た、医者らしいものがやつてくる、たびたびこつちをみてゐるやうだ、それは一本みちを行くときに、ごくありふれたことなのだ、冬にもやつぱりこんなあんばいに、くろいイムバネスがやつてきて、本部へはこれでいいんですかと、遠くからことばの浮標ブイをなげつけた、でこぼこのゆきみちを、辛うじて咀嚼そしやくするといふ風にあるきながら、本部へはこれでいゝんですかと、心細こころぼそさうにきいたのだ、おれはぶつきら棒にああと言つただけなので、ちやうどそれだけたいへんかあいさうな気がした、けふのはもつと遠くからくる

パート三

もう入口だ〔小岩井農場〕、(いつものとほりだ)んだ野ばらやあけびのやぶ、〔もの売りきのことりお断り申し候〕、(いつものとほりだ ぢき医院もある)〔禁猟区〕 ふん いつものとほりだ、小さな沢と青いだち、沢では水が暗くそしてにぶつてゐる、また鉄ゼルの fluorescence、向ふのはたけには白樺もある、白樺は好摩かうまからむかふですと、いつかおれは羽田県属に言つてゐた、ここはよつぽど高いから、柳沢つづきの一帯だ、やつぱり好摩にあたるのだ、どうしたのだこの鳥の声は、なんといふたくさんの鳥だ、鳥の小学校にきたやうだ、雨のやうだし湧いてるやうだ、居る居る鳥がいつぱいにゐる、なんといふ数だ 鳴く鳴く鳴く、Rondo Capriccioso、ぎゆつくぎゆつくぎゆつくぎゆつく、あの木のしんにも一ぴきゐる、禁猟区のためだ 飛びあがる、(禁猟区のためでない ぎゆつくぎゆつく)一ぴきでない ひとむれだ、十疋以上だ 弧をつくる、(ぎゆつく ぎゆつく)三またの槍の穂 弧をつくる、青びかり青びかり赤楊はんの木立、のぼせるくらゐだこの鳥の声、(その音がぼつとひくくなる、うしろになつてしまつたのだ、あるいはちゆういのりずむのため、両方ともだ とりのこゑ)木立がいつか並樹になつた、この設計は飾絵かざりゑ式だ、けれども偶然だからしかたない、荷馬車がたしか三台とまつてゐる、なまな松の丸太がいつぱいにつまれ、がいつかこつそりおりてきて、あたらしいテレピン油の蒸気圧じようきあつ一台だけがあるいてゐる、けれどもこれは樹や枝のかげでなくて、しめつた黒い腐植質と、石竹せきちくいろの花のかけら、さくらの並樹になつたのだ、こんなしづかなめまぐるしさ

この荷馬車にはひとがついてゐない、馬は払ひ下げの立派なハツクニー、脚のゆれるのは年老つたため、(おい ヘングスト しつかりしろよ、三日月みたいな眼つきをして、おまけになみだがいつぱいで、陰気にあたまを下げてゐられると、おれはまつたくたまらないのだ、威勢よく桃いろの舌をかみふつと鼻を鳴らせ)ぜんたい馬の眼のなかには複雑なレンズがあつて、けしきやみんなへんにうるんでいびつにみえる…………馬車挽きはみんなといつしよに、向ふのどてのかれ草に、腰をおろしてやすんでゐる、三人赤くわらつてこつちをみ、また一人は大股にどてのなかをあるき、なにか忘れものでももつてくるといふふう……(蜂函の白ペンキ)桜の木には天狗巣病てんぐすびやうがたくさんある、天狗巣ははやくも青い葉をだし、馬車のラツパがきこえてくれば、ここが一ぺんにスヰツツルになる、遠くでは鷹がそらを截つてゐるし、からまつの芽はネクタイピンにほしいくらゐだし、いま向ふの並樹をくらつと青く走つて行つたのは、(騎手はわらひ)赤銅しやくどう人馬じんばの徽章だ

パート四

本部の気取きどつた建物が、桜やポプラのこつちに立ち、そのさびしい観測台のうへに、ロビンソン風力計の小さな椀や、ぐらぐらゆれる風信器を、わたくしはもう見出さない、さつきの光沢消つやけしの立派な馬車は、いまごろどこかで忘れたやうにとまつてようし、五月の黒いオーヴアコートも、どの建物かにまがつて行つた、冬にはこゝの凍つた池で、こどもらがひどくわらつた、(から松はとびいろのすてきな脚です、向ふにひかるのは雲でせうか粉雪でせうか、それとも野はらの雪に日が照つてゐるのでせうか、氷滑りをやりながらなにがそんなにをかしいのです、おまへさんたちの頬つぺたはまつ赤ですよ)葱いろの春の水に、楊の花芽ベムベロももうぼやける……はたけは茶いろに掘りおこされ、廐肥も四角につみあげてある、並樹ざくらの天狗巣には、いぢらしい小さな緑の旗を出すのもあり、遠くの縮れた雲にかかるのでは、みづみづした鶯いろの弱いのもある……あんまりひばりが啼きすぎる、(育馬部と本部とのあひだでさへ、ひばりやなんか一ダースできかない)そのキルギス式の逞ましい耕地の線が、ぐらぐらの雲にうかぶこちら、みじかい素朴な電話ばしらが、右にまがり左へ傾きひどく乱れて、まがりかどには一本の青木、(白樺だらう 楊ではない)耕耘部へはここから行くのがちかい、ふゆのあひだだつて雪がかたまり、馬橇ばそりも通つていつたほどだ、(ゆきがかたくはなかつたやうだ、なぜならそりはゆきをあげた、たしかに酵母のちんでんを、冴えた気流に吹きあげた)あのときはきらきらする雪の移動のなかを、ひとはあぶなつかしいセレナーデを口笛に吹き、往つたりきたりなんべんしたかわからない、(四列の茶いろな落葉松らくえふしようけれどもあの調子はづれのセレナーデが、風やときどきぱつとたつ雪と、どんなによくつりあつてゐたことか、それは雪の日のアイスクリームとおなじ、(もつともそれなら暖炉だんろもまつだらうし、muscovite も少しそつぽにけるだらうし、おれたちには見られないぜいたくだ)春のヴアンダイクブラウン、きれいにはたけは耕耘された、雲はけふも白金はくきん白金黒はくきんこくそのまばゆい明暗めいあんのなかで、ひばりはしきりに啼いてゐる、(雲の讃歌さんかと日のきしり)それから眼をまたあげるなら、灰いろなもの走るもの蛇に似たもの 雉子だ、亜鉛鍍金あえんめつきの雉子なのだ、あんまり長い尾をひいてうららかに過ぎれば、もう一疋が飛びおりる、山鳥ではない、(山鳥ですか?山で?夏に?)あるくのははやい 流れてゐる、オレンヂいろの日光のなかを、雉子はするするながれてゐる、啼いてゐる、それが雉子の声だ、いま見はらかす耕地のはづれ、向ふの青草の高みに四五本乱れて、なんといふ気まぐれなさくらだらう、みんなさくらの幽霊だ、内面はしだれやなぎで、ときいろの花をつけてゐる、(空でひとむらの海綿白金プラチナムスポンヂがちぎれる)それらかゞやく氷片の懸吊けんてうをふみ、青らむ天のうつろのなかへ、かたなのやうにつきすすみ、すべて水いろの哀愁をき、さびしい反照はんせう偏光へんくわうを截れ、いま日を横ぎる黒雲は、侏羅じゆらや白堊のまつくらな森林のなか、爬虫はちゆうがけはしく歯を鳴らして飛ぶ、その氾濫の水けむりからのぼつたのだ、たれも見てゐないその地質時代の林の底を、水は濁つてどんどんながれた、いまこそおれはさびしくない、たつたひとりで生きて行く、こんなきままなたましひと、たれがいつしよに行けようか、大びらにまつすぐに進んで、それでいけないといふのなら、田舎ふうのダブルカラなど引き裂いてしまへ、それからさきがあんまり青黒くなつてきたら……そんなさきまでかんがへないでいい、ちからいつぱい口笛を吹け、口笛をふけ 錯綜さくそうたよりもない光波のふるひ、すきとほるものが一列わたくしのあとからくる、ひかり かすれ またうたふやうに小さな胸を張り、またほのぼのとかゞやいてわらふ、みんなすあしのこどもらだ、ちらちら瓔珞やうらくもゆれてゐるし、めいめい遠くのうたのひとくさりづつ、緑金寂静ろくきんじやくじやうのほのほをたもち、これらはあるいは天の鼓手こしゆ 緊那羅きんならのこどもら、(五本の透明なさくらの木は、青々とかげろふをあげる)わたくしは白い雑嚢をぶらぶらさげて、きままな林務官のやうに、五月のきんいろの外光のなかで、口笛をふき歩調をふんでわるいだらうか、たのしい太陽系の春だ、みんなはしつたりうたつたり、はねあがつたりするがいい、(コロナは八十三万二百……)あの四月の実習のはじめの日、液肥をはこぶいちにちいつぱい、光炎菩薩太陽マヂツクの歌が鳴つた、(コロナは八十三万四百……)ああ陽光のマヂツクよ、ひとつのせきをこえるとき、ひとりがかつぎ棒をわたせば、それは太陽のマヂツクにより、磁石のやうにもひとりの手に吸ひついた、(コロナは七十七万五千……)どのこどもかが笛を吹いてゐる、それはわたくしにきこえない、けれどもたしかにふいてゐる、(ぜんたい笛といふものは、きまぐれなひよろひよろの酋長だ)

みちがぐんぐんうしろから湧き、過ぎて来た方へたたんで行く、むら気な四本の桜も、記憶のやうにとほざかる、たのしい地球の気圏の春だ、みんなうたつたりはしつたり、はねあがつたりするがいい

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