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孤島の鬼・江戸川乱歩

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八幡の藪知らず

兎も角横穴へ這入って、宝が已に持出されたかどうかを確かめて見る外はなかった。私達は一度諸戸屋敷に帰って、横穴探険に必要な品々を取揃えた。数挺の蝋燭、マッチ、漁業用の大ナイフ、長い麻縄(網に使用する細い麻縄を、出来るだけつなぎ合わせて、玉を拵えた)等の品々である。「あの横穴は存外深いかも知れない。『六道の辻』なんて形容してある所を見ると、深いばかりでなく、枝道があって、八幡の藪不知みたいになっているのかも知れない。ホラ『即興詩人』にローマのカタコンバへ這入る所があるだろう。僕はあれから思いついて、この麻縄を用意したんだ。フェデリゴという画工の真似なんだよ」諸戸は大げさな用意を弁解する様に云った。私はその後「即興詩人」を読み返して、彼の隧道トンネルじょうに至る毎に、当時を回想し、戦慄を新たにしないではいられぬのだ。「深きところには、やはらかなる土に掘りこみたる道の行き違ひたるあり。その枝の多き、その様の相似あひにたる、おもなる筋を知りたる人も踏み迷ふべきほどなり。われは穉心おさなごころに何ともおもはず。画工はまたあらかじ其心そのこころして、我を伴ひりぬ。先づ蝋燭一つともし、一つをばなほころものかくしの中にたくはへおき、一巻ひとまきいとの端を入口に結びつけ、さて我手を引きて進み入りぬ。忽ち天井低くなりて、われのみ立ちて歩まるゝところあり……」画工と少年とは、斯様かようにして地下の迷路に踏み入ったのであるが、私達も丁度その様であった。私達はさっきの太い縄にすがって次々と井戸の底に降り立った。水はやっとくるぶしを隠す程しかなかったけれど、その冷さは氷の様である。横穴は、そうして立った私達の、腰のあたりに開いているのだ。諸戸はフェデリゴの真似をして、先ず一本の蝋燭をともし、麻縄の玉の端を、横穴の入口の石畳の一つに、しっかりと結びつけた。そして、縄の玉を少しずつほぐしながら、進んで行くのだ。諸戸が先に立って、蝋燭を振りかざして、這って行くと、私が縄の玉を持って、そのあとに続いた、二匹の熊の様に。「やっぱり、仲々深そうだよ」「息がつまる様ですね」私達はソロソロと這いながら、小声で話し合った。五六間行くと穴が少し広くなって、腰をかがめて歩ける位になったが、すると間もなく、洞穴の横腹に又別の洞穴が口を開いている所に来た。「枝道だ。案の定八幡の藪不知だよ。だが、しるべの縄を握ってさえいれば、道に迷うことはない。先ず本通りの方へ進んで行こうよ」諸戸はそう云って、横穴に構わず、歩いて行ったが、二間も行くと、又別の穴が真黒な口を開いていた。蝋燭をさし入れて覗いて見ると、横穴の方が広そうなので、諸戸はその方へ曲って行った。道はのたうち廻る蛇の様に、曲りくねっていた。左右に曲る丈けではなくて、上下にも、或時は下り、或時は上った。低い部分には、浅い沼の様に水の溜っている所もあった。横穴や枝道は覚え切れない程あった。それに人間の造った坑道などとは違って、這っても通れない程狭い部分もあれば、岩の割目の様に縦に細長く裂けた部分もあり、そうかと思うと、突然非常に大きな広間の様な所へ出た。その広間には、五つも六つもの洞穴が、四方から集って来て、複雑極まる迷路を作っている。「驚いたね。蜘蛛手の様に拡がっている。こんなに大がかりだとは思わなかった。この調子だと、この洞穴は島中端から端まで続いているのかも知れないよ」諸戸はうんざりした調子で云った。「もう麻縄がのこり少なですよ。これが尽きるまでに行止まりへ出るでしょうか」「駄目かも知れない。仕方がないから、縄が尽きたらもう一度引返して、もっと長いのを持って来るんだね。だが、その縄を離さない様にし給えよ。大切だいじの道しるべをなくしたら、僕等はこの地の底で迷子になってしまうからね」諸戸の顔は赤黒く光って見えた。それに、蝋燭の火が顎の下にあるものだから、顔の陰影が逆になって、頬と目の上に、見馴れぬ影が出来、何だか別人の感じがした。物云う度に、黒い穴の様な口が、異様に大きく開いた。蝋燭の弱い光はやっと一間四方を明るくする丈けで、岩の色も定かには分らなんだが、真白な天井が気味悪くでこぼこになって、その突出とっしゅつした部分から、ポタリポタリとしずくが垂れている様な箇所もあった。一種の鍾乳洞である。やがて道は下り坂になった。気味の悪い程、いつまでも下へ下へと降りて行った。私の目の前に、諸戸の真黒な姿が、左右に揺れながら進んで行った。左右に揺れる度に彼の手にした蝋燭の焔がチロチロと隠顕した。ボンヤリと赤黒く見えるでこぼこの岩肌が、あとへあとへと、頭の上を通り越して行く様に見えた。暫くすると、進むに従って、上も横も、岩肌が段々眼界から遠ざかって行く様に見えた。地底の広間の一つにぶっつかったのである。ふと気がつくと、その時、私の手の縄の玉は殆どなくなっていた。「アッ、縄がない」私は思わず口走った。そんなに大きな声を出したのではなかったのに、ガーンと耳に響いて、大きな音がした。そして、直ぐ様、どこか向うの方から、小さな声で、「アッ、縄がない」と答えるものがあった。地の底のこだまである。諸戸はその声に、驚いてうしろをふり返って、「エ、なに」と私の方へ蝋燭をさしつけた。焔がユラユラと揺れて、彼の全身が明るくなった。その途端、「アッ」という叫声がしたかと思うと、諸戸の身体が、突然私の眼界から消えてしまった。蝋燭の光も同時に見えなくなった。そして、遠くの方から、「アッ、アッ、アッ……」と諸戸の叫声が段々小さく、幾つも重なり合って聞えて来た。「道雄さん、道雄さん」私は慌てて諸戸の名を呼んだ。「道雄さん、道雄さん、道雄さん、道雄さん」と谺が馬鹿にして答えた。私は非常な恐怖に襲われ、手さぐりで諸戸のあとを追ったが、ハッと思う間に、足をふみはずして、前へのめった。「痛い」私の身体の下で、諸戸が叫んだ。なんのことだ。そこは、突然二尺ばかり地面が低くなっていて、私達は折重なって、倒れたのである。諸戸は転落した拍子に、ひどく肘をうって、急に返事をすることが出来なかったのだ。「ひどい目にあったね」闇の中で諸戸が云った。そして、起上る様子であったが、やがて、シュッという音がしたかと思うと、諸戸の姿が闇に浮いた。「怪我しなかった?」「大丈夫です」諸戸は蝋燭に火を点じて、又歩き出した。私も彼のあとに続いた。だが、一二間進んだ時、私はふと立止ってしまった。右手に何も持っていないことに気づいたからだ。「道雄さん、一寸蝋燭を貸して下さい」私は胸がドキドキして来るのを、じっとこらえて、諸戸を呼んだ。「どうしたの」諸戸が、不審そうに、蝋燭をさしつけたので、私はいきなりそれを取って、地面を照らしながら、あちこちと歩き廻った。そして、「何でもないんですよ。何でもないんですよ」と云い続けた。だがいくら探しても、薄暗い蝋燭の光では、細い麻縄を発見することが出来なかった。私は広い洞窟を、未練らしくどこまでも、探して行った。諸戸は気がついたのか、いきなり走り寄って、私の腕を掴むと、ただならぬ調子で叫んだ。「縄を見失ったの?」「エエ」私はみじめな声で答えた。「大変だ。あれをなくしたら、僕達はひょっとすると、一生涯この地の底で、どうどうめぐりをしなければならないかも知れぬよ」私達は段々慌て出しながら、一生懸命探し廻った。地面の段になっている所で転んだのだから、そこを探せばよいというので、蝋燭で地面を見て歩くのだが、段々になった箇所は、方々にあるし、その洞窟に口を開いている狭い横穴も一つや二つではないので、つい、どれが今来た道だか分らなくなってしまって、探し物をしている内にも、何時いつ路をふみ迷うか知れない様な有様なので、探せば探す程、心細くなるばかりであった。後日、私は「即興詩人」の主人公も、同じ経験を嘗めたことを思い出した。鴎外おうがいの名訳が、少年の恐怖をまざまざと描き出している。「この時われが周囲にはせきとして何の声も聞えず、ゞ忽ち断へ忽ち続く、物寂しき岩間のしづくの音を聞くのみなりき。……ふと心づきて画工の方を見やれば、あないぶかし、画工は大息つきて一つところを馳せめぐりたり。……その気色けしきたゞならず覚えければ、われも立ちあがりて泣きいだしつ。……われは画工の手に取りすがりて、最早もはや登りゆくべし、こゝにはりたくなしとむつかりたり。画工は、そちはき子なり、えかきてやらむ、果子をや与へむ、こゝに銭もあり、といひつゝ衣のかくしを探して、財布を取り出し、中なる銭をば、ことごとく我に与へき。我はこれを受くる時、画工の手の氷の如くひややかになりて、いたく震ひたるに心づきぬ。……さてしてあまたゝび我に接吻し、かはゆき子なり。そちも聖母に願へ、といひき。絲をや失ひ給ひし、と我は叫びぬ」即興詩人達は、間もなく糸の端を発見して、無事にカタコンバを立出でることが出来たのである。だが、同じ幸運が私達にも恵まれたであろうか。

麻縄の切口

画工フェデリゴと違って、私達は神を祈ることをしなかった。その為であるか、彼等の様に、たやすく糸の端を見つけることは出来なんだ。一時間以上も、私達は冷やかな地底にも拘らず、全身に汗を流して、物狂わしく探し廻った。私は絶望と、諸戸に対する申訳なさに、幾度も、冷い岩の上に身を投げて、泣き出したくなった。諸戸の強烈な意志が、私を励ましてくれなかったら、恐らく私は探索を思い切って、洞穴の中に坐ったまま、餓死を待ったかも知れない。私達は何度となく、洞窟に住む大蝙蝠の為に、蝋燭の光を消された。奴等は不気味な毛むくじゃらの身体を、蝋燭ばかりではなく、私達の顔にぶっつけた。諸戸は辛抱強く、蝋燭を点じては、次から次と、洞窟の中を、組織的に探し廻った。「慌ててはいけない。落ちついていさえしたら、ここにあるに相違ないものが、見つからぬという道理はないのだから」彼は驚くべき執拗さで、捜索を続けた。そして、遂に、諸戸の沈着のお蔭で、麻縄の端は発見された。だが、それは何という悲しい発見であったろう。それを掴んだ時、諸戸も私も、無上の歓喜に、思わず小躍りした。「万歳」と叫びそうにさえなった。私は喜びの余り、掴んだ縄をグングンと手元へたぐり寄せた。そして、それが何時いつまででもズルズルと伸びて来るのを、怪しむ暇もなかった。「変だね。手答えがないの?」側で見ていた諸戸が、ふと気附いて云った。云われて見ると変である。私はそれがどの様な不幸を意味するかも知らないで、勢いこめて、引き試みた。すると、縄は蛇の様に波うって、私を目がけて飛びかかり、私ははずみを食って、尻餅しりもちをついてしまった。「引っぱっちゃいけない」私が尻餅をついたのと、諸戸が叫んだのと同時だった。「縄が切れているんだ。引張っちゃいけない。そのままソッとして置いて、縄を目印にして入口の方へ出て見るんだ。中途で切れたんでなければ、入口の近くまで行けるだろう」諸戸の意見に従って、蝋燭を地につけ、横わっている縄を見ながら、元の道を引かえした。だが、アア、何という事だ。二つ目の広間の入口の所で、私達の道しるべは、プッツリと断ち切れていた。諸戸はその麻縄の端を拾って、火に近づけて暫く見ていたが、それを私の方へ差出して、「この切口を見給え」と云った。私が彼の意味を悟り兼ねて、もじもじしていると、彼はそれを説明した。「君は、さっき君が転んだ時、縄を強く引張った為に、中途で切れたと思っているだろう。そして、僕に済まなく思っているだろう。安心し給え、そうではないのだ。だが、我々にとっては、もっと恐ろしいことなんだ。見給え。この切口は決して岩角で擦り切れたものじゃない。鋭利な刃物で切断した跡だ。第一、引張った勢いで擦り切れたものなら、我々から一番近い岩角の所で切れている筈だ。ところが、これは殆ど入口の辺で切断されたものらしい」切口を検べて見ると、成程、諸戸の云う通りであった。更らに私達は、入口の所で、つまり私達がこの地底に這入る時、井戸の中の石畳に結びつけて来た、その近くで切断されたものであるかどうかを確める為に、縄を元の様な玉に巻き直して見た。すると、丁度元々通りの大きさになったではないか。最早や疑う所はなかった。何者かが、入口の近くで、この縄を切断したのである。最初私がたぐり寄せた部分がどれ程あったか、ハッキリしないけれど、恐らく八間位であっただろう。だが、私達が転ぶ以前に切断されたものとすると、私達は端の止っていない縄を、ズルズルと引ずって歩いていたかも知れないのだから、現在の位置から入口まで、どれ程の距離があるか、殆ど想像がつかなんだ。「だが、こうしていたって仕様がない。行ける所まで行って見よう」諸戸はそう云って、蝋燭を新しいのと取換え、先に立って歩き出した。その広い洞窟には幾つもの枝道があったが、私達は縄の終っていた所からまっすぐに歩いて、つき当りに開いている穴に這入って行った。入口は多分その方角であろうと思ったからである。私達は度々枝道にぶっつかった。穴の行止りになっている所もあった。そこを引返すと、今度は以前に通った路が分らなくなった。広い洞窟へも一度ならず出たが、それが最初出発した洞窟かどうかさえ分らなんだ。一つの洞窟を一週しさえすれば、必ず見つかる麻縄の端を発見するのでも、あんなに骨を折ったのだ。それが枝道から枝道へと、八幡の藪知らずに踏み込んでしまっては、もうどうすることも出来なんだ。諸戸は「少しでも光を発見すればいいのだ。光のさす方へ向いて行けば、必ず入口へ出られるのだから」と云ったが、豆粒程の幽かな光さえ発見することが出来なかった。そうして滅茶苦茶に一時間程も歩き続けている内に、現在入口に向っているのだか、反対に奥へ奥へと進んでいるのだか、島のどの辺をさまよっているのだか、さっぱり分らなくなってしまった。又しても、ひどい下り坂であった。それを降り切ると、そこにも地底の広間があった。広間の中程から、少しつまさき上りになって来たが、構わず進んで行くと、小高く段になった所があって、それを登ると行止りの壁になっていた。私達はあきれ果てて、その段の上に腰をおろしてしまった。「さっきから同じ道をグルグル廻っていたのかも知れませんね」私は本当にそんな気がした。「人間て実に腑甲斐ふがいないもんですね。多寡がこんな小さな島じゃないか、端から端まで歩いたって知れたものです。又僕達の頭のすぐ上には、太陽が輝いて、家もあれば人もいるんだ。十間あるか二十間あるか知らないが、たったそれ丈けの所を突き抜ける力もないんですからね」「そこが迷路の恐ろしさだよ。八幡の藪不知っていう見世物があるね。せいぜい十間四方位の竹藪なんだが、竹の隙間から出口が見えていて、いくら歩いても出られない。僕等は今、あいつの魔法にかかっているんだよ」諸戸はすっかり落着いていた。「こんな時には、ただあせったって仕方がない。ゆっくり考えるんだね。足で出ようとせず、頭で出ようとするんだ。迷路というものの性質をよく考えて見るんだ」彼はそう云って、穴へ這入って初めて煙草をくわえて、蝋燭の火をうつしたが、「蝋燭も倹約しなくっちゃあ」と云って、そのまま吹き消してしまった。文目あやめもわかぬ闇の中に、彼の煙草の火が、ポッツリと赤い点を打っていた。煙草好きの彼は、井戸へ這入る前、トランクの中に貯えてあったウェストミンスタアを一箱取出して、懐中して来たのだ。一本目を吸ってしまうと、彼はマッチを費さず、その火で二本目の煙草をつけた。そして、それがなかば燃えてしまうまで、私達は闇の中で、黙っていた。諸戸は何か考えているらしかったが、私は考える気力もなく、ぐったりとうしろの壁へよりかかっていた。

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